家康公から考える、静岡の歴史と未来

徳川家康が生まれ育ち、晩年の住まいにも選んだ静岡県。今、県内では徳川の文化を活かした地域づくりへの機運が高まっている。家康は静岡の何に惹かれ、何を残したのか。宗家18代目の恒孝氏に聞いた。

徳川恒孝
1940年生まれ。63年に17代家正氏より家督を継ぎ、会津松平家一門から18代当主に。学習院大学政経学部政治学科卒業後、64年日本郵船に入社し、98年米国日本郵船会長兼CEO、00年日本郵船副社長。現在は徳川記念財団理事長や、WWFジャパン会長を務める。12年より静岡商工会議所最高顧問

2015年の徳川家康の没後400年を目前に、静岡県内では家康に関連した事業が数多く立ち上がっている。250年以上という長い平和を築いた徳川時代を再評価する学会や、家康をモチーフにした自治体キャラクターなど、その分野はさまざまだ。家康は静岡県民のアイデンティティの一つと言える。

家康は10代を駿府で過ごし、武将としての足場を三河国と遠江国で固めた。豊臣時代に江戸に移封され、その後江戸幕府を起こすも、晩年は大御所として駿府に戻った。「農業も漁業も豊かで、振り返れば富士山がそびえたつ。家康が江戸から静岡に戻った理由はよくわかります」と、徳川恒孝氏は話す。23歳で家督を継ぎ、日本郵船の社員として世界を飛び回るかたわら、徳川宗家18代目として先祖の祭祀に多くの時間を割いてきた。久能山東照宮など家康ゆかりの地が数多く存在する静岡県にも50年以上続けて訪れており、「第二の故郷」と断言する。

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