寄附税制としての筋を通す

返礼品に関する報道がマスコミを賑わせているが、仕組みを知ってこそ、あるべき姿が浮かび上がる。本学で開催した2017年度ふるさと納税・地方創生研究会の委員である関西学院大学の小西砂千夫教授に、地方財政の観点から本来あるべき税制を寄稿頂いた。

文・小西砂千夫 関西学院大学 大学院経済学研究科 人間福祉学部 教授

 

 

関西学院大学 大学院 経済学研究科 人間福祉学部 教授 小西 砂千夫

ふるさと納税はwin-winか

ふるさと納税といえば寄附税制である。特定の自治体が掲げる政策に共感し、住民でない者がそれに協力することが本来の趣旨である。しかし、一般の人たちにとって、ふるさと納税とはすなわち返礼品であるのが実態である。税金が安くなって、それで地域の特産品がいろいろもらえる制度に他ならない。使わないと損だ、となる。筆者に、マスコミからふるさと納税について取材があるときも、そのほとんどが返礼品のあり方に関することだ。「ふるさと納税は寄附税制です。返礼品は、ふるさと納税という税法上の制度の外にあるものであり、地方自治体が独自に行っている単独事業です」と取材相手に説明しても、上の空で、「それで返礼品のあり方なんですが......」と、質問が飛んでくる。

ふるさと納税は、返礼品の喜びがあるだけ、贈与側はよいことばかりの仕組みである。一方、受贈側は、歳入が増えるうえに、返礼品で地元産業に対する特需が生じて活性化が期待できる。特産品のイメージがよくなれば、地域ブランド戦略にも貢献できる。そこに重点があると割り切れば、仮に受贈額のすべてを返礼品+事務費等に充当したところで、トータルで採算が合う。こんなよい制度はない。その限りでは、win-winの制度である。

しかし、である。少し話がうますぎないか、と誰しも思うだろう。この構図を支えているのは、ふるさと納税の減収分が、地方交付税で大部分が回復するとともに、増収分が地方交付税の減額で相殺されることがないからである。つまり、ふるさと納税のユートピアは、それを地方財政制度で支えていることで成り立つ仮想空間である。仮に、ふるさと納税の実績額が、そっくり、地方財政計画の歳入に計上されるようなことになれば、win-winどころではない。ふるさと納税の減収分が地方交付税の純減になるので、それを上回るふるさと納税を集めなければならない。一転して、ゼロサムゲームとなる。もはや、返礼品どころではない、食うか食われるかの世界に突き落とされ、勝者なき(あるいは少なき)闘いのリングに無理矢理あげられる。そうなると、こんな制度は止めようよ、となるはずだ。

となれば、ふるさと納税を地方財政制度で支えるべき正当性は何かということになる。それは公益性に対する寄附を奨励し、社会的共感を醸成すること以外に見出しがたい。技術的には、その使途は、地方財政計画の歳出に計上されている政策であってはならない。ふるさと納税を財源としなければできない政策であって、その実施に対して、多くの人たちが賛同するものだけが、ふるさと納税の財源充当先としてふさわしい。このように、寄附税制として筋を通した運用が不可避である。返礼品の自粛を求める先の総務大臣通知(ふるさと納税に係る返礼品の送付等について、平成29年4月1日)が求める内容は、むしろ当たり前のことであって、それに目くじらを立てるようでは、全体の構図が見えていないといわざるを得ない。

ふるさと納税は、文字通り、自分が生まれ育ったふるさとに対する納税として発想された。子どもの頃、ふるさとの自治体が教育費を始め、多くの公共サービスを提供してくれたのに、成人となって納税者となったときにはふるさとを離れていると、納税のかたちで恩返しができない。それはなんとかならないのか、というのが元々の発想である。しかし、心情としては理解できるものの、ふるさとをどのように定義できるのか、転居を繰り返してきた場合にはどのように配分するのかなど、具体的な制度設計で課題が大きいことからそれを断念して、現在の寄附税制のかたちに収まった経緯がある。

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