投資銀行出身社長が挑む「ふつうの集合住宅」の再定義

ゴールドマン・サックスで不良債権投資を手がけてきた木本啓紀氏が、2021年にアーキテクト・ディベロッパー(ADI)の代表取締役に就任。2期連続赤字の企業をわずか4年で営業利益40億円超へと導いた。「美しい暮らし方を住まいから」という企業理念のもと、金融エリートが不動産業で見出した新たな価値創出の形とは。その構想の核心に迫る。

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木本 啓紀(株式会社アーキテクト・ディベロッパー 代表取締役社長)

金融の論理を超えた「心の平穏」という価値

「現代人にとって最も価値あるものは何か。それは心穏やかに1日を終えられることではないでしょうか」。ADI代表取締役社長の木本啓紀氏はこう語る。ゴールドマン・サックスで18年間、不良債権投資や企業再生に携わってきた金融のプロフェッショナルが、不動産業で見出した価値観だ。

木本氏は独自の視点で現代を捉える。「どんなにお金を持っていても、どんなに成功していても、1日の終わりに心穏やかに過ごせることができれば、それが一番の目的ではないか。ただ、すべてを捨てて隠遁生活を送るわけにもいかない。資本主義の中で戦い、勝ち取った先にある安息。その両立が大切なんです」。

2021年の代表就任時、ADIは2期連続の営業赤字で金融機関との関係も悪化していた。「私にとっては再建案件でした。デフォルト(債務不履行)からスタートするのは、不良債権投資の世界では日常。むしろそこから価値を生み出すのが仕事でした」。この逆転の発想が、後のV字回復の原動力となる。

「ふつうの集合住宅が、実はいちばんよくできている」

という哲学

ADIの経営理念には「ふつうの集合住宅が、実はいちばんよくできている、となるようにする」という一文がある。この言葉に込められた意図を木本氏はこう説明する。「日本の住宅は数十年で価値がゼロになる減価資産。建築家が奇抜さを競い、15年で外壁が剥離する有名建築もある。でもヨーロッパでは、建てた当時は普通の住宅だったものが何百年も使われている」。

同社には1級建築士が50名在籍する。彼らの多くは丹下健三のような巨匠に憧れて建築家を目指した。しかし木本氏は「創作意欲を刺激する建築だけが価値ではない。鉄骨アパートでも、世代を超えて使われる意義ある仕事」と説く。この哲学は数字にも表れている。13年連続で入居率99%以上。「家賃という定量的な評価こそ、お客様が認めた価値の証明」と木本氏は強調する。

派手さはないが「よくできている」。そう言われる存在を目指すことが、社会インフラを提供する企業の責務。この思想が、同社の設計から施工、管理まで一貫した事業モデルを支えている。

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機能性×デザイン性×経済合理性を両立したADIのLiVLiシリーズ

オーナーシップが組織を変える

「スキルよりウィル(意志)が大切」。木本氏の経営哲学の核心だ。大学時代のアルバイトは苦痛だったが、ゴールドマン・サックスでの仕事は楽しかった。その違いは「オーナーシップ」にあったという。「時間とお金を交換するだけでは仕事はつまらない。自分がビジネスのオーナーだと思えるかどうかが、パフォーマンスを決定的に左右する」。

ADIでは、「GP(Gross Production/グロスプロダクション)」という経営指標を用いている。GPとは、正社員の報酬総額(給与・建築労務費・各種手当)に経常利益を加えたもので、会社が1年間に創出した付加価値を示す。

さらに同社では、「GP per capita(ジーピー・パー・キャピタ)」という指標も用いている。GP per capitaとは、GPを正社員数で割り、一人当たりの生産量を可視化したものである。

GPを高めるには正社員を増やせばいい。しかしながら、GP per capitaも高めるためにはやみくもに正社員を増やすことは得策ではない。そうすると、社員一人ひとりが、限られた人数でいかに生産性を高めることができるかを考えはじめる。そこに「オーナーシップ」が生まれる。これらの指標を同時に高めることは、ADIの持続的成長に直結するものであり、その成果を適正に扱うための基盤となる。こうした考え方は、労使間の公正な分配を重視する姿勢の表れでもある。

評価制度についても明確な方針を持つ。「うちは評価がシビアです。成果に応じて処遇に大きな差をつける。ただし雰囲気はフェアでフラット。結果に対してはシビアでも、人間関係は温かい。そのバランスが大切」と木本氏は説明する。

最も象徴的なのが「従業員の株主化」だ。上場を見据えて有償ストックオプション制度を導入したところ、対象者の70%が自費で参加。「財務担当の入社3年目の社員が、コスト管理の話をする時に冗談で『僕も株主ですから』と言ったんです。従業員でありながら経営者目線を持てる。それが面白い」。かつてのゴールドマンの同僚5名が赤字企業に転職してきた理由も、このオーナーシップ文化にあった。

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風通しのよさと人のあたたかさを表現したADIのオフィス

100年企業への道筋

2008年創業のADIは、まだ17年の若い企業だ。2021年の就任時、売上470億円で営業利益率1%台だった同社を、木本氏は2025年には営業利益40億円超へと導いた。この劇的な転換の背景には、創業100年を見据えた長期視点での経営がある。「100年後を考えると聞かれますが、必ず大きな社会変化が起こる。戦争、経済危機、パンデミック。そういう変化に対応できる企業だけが生き残る」。

木本氏は三井不動産の約350年の歴史を引き合いに出す。「彼らも創業時に2025年が来るとは思わなかったはず。でも変化に対応し続けたから今がある。我々はまだ17年だが、100年スパンで考えれば、いつか肩を並べる日が来るかもしれない」。

長期視点での価値創造は、地域との共生にも及ぶ。「首都圏集中が続く一方で、気候変動により都市の居住環境は厳しさを増している。人々が日常の喧騒から離れ、心穏やかに過ごせる場所づくりも我々の使命」。自治体と連携しながら、その地域が目指す50年後、100年後の姿を共に描き、面での開発を構想する。「単に建物を建てるのではない。地域の理想像を理解し、美しい暮らし方を住まいから実現していく」。

そのための布石が遠くない未来の株式上場だ。「小さく上場するつもりはない。しっかりと事業基盤を固めてから公開し、その先30年、100年を見据える」。同社の資産の87%は流動資産。固定資産をほとんど持たない柔軟なビジネスモデルが、変化への対応力を生む。

パーパス経営が流行する中、木本氏は独自の立場を取る。「理念は大事である。しかし、美辞麗句だけで社員を動かすことはしたくない。それよりも稼ぐために働くという根本に向き合い、公正に分配する方が健全」。金融出身者らしい合理性と、人間の本質を見据えた経営哲学。その融合が、ADIを100年企業へと導く原動力となっている。