エンタメのノウハウをヘルスケアに 健康管理に「楽しさ」を

ウェアラブルデバイスやアプリで生活者の日常に入り込み、予防や治療を補完する可能性を持つヘルステック市場は、大きな可能性を持つ。ゲームやCG制作というエンタテインメントの力でヘルスケア領域のニーズに応える事業を構想するHYPER CUBE代表取締役の大林氏に聞いた。

大林 謙(HYPER CUBE 代表取締役 事業構想大学院大学 東京校 6期生)

「最も興味のない領域」が次の事業に

HYPER CUBEはデジタル技術でヘルスケア領域の課題解決を目指す企業。AI技術を用いたデータプラットフォームの構築やアプリケーション開発などを手がけており、国内の大手企業やアカデミアとも連携し、医療・ヘルスケア領域のほかスマートシティ関連のプロジェクトなどにも携わる。

代表取締役を務めるのは、事業構想大学院大学6期生の大林謙氏。もともとCGやゲーム開発を手がけており、そのノウハウを活かし遊びが疾患の予防になる社会の実現に力を注いでいる。大林氏は美術大学を卒業後、専門学校にてデジタル技術を学び、社会人経験を経て2003年にCGやゲーム、VR制作を事業とする企業を立ち上げる。他にも映像企画、ライブ配信など、デジタルとクリエイティビティをかけ合わせた多くの事業に携わってきた。

大学院進学の動機は、10年、20年先を見据えた新たな事業の構想を得たいとの思いを持ったことだ。大林氏は修了後にHYPER CUBEをはじめいくつかのヘルステック事業に参画しているが、当初はこの領域での構想があったわけでなかったという。

きっかけは大学院で「自分の興味から最も遠いことを学ぼうと思い、医療・ヘルスケア系のゼミを選んだこと」。これと前後し、ポケモンGOが中高年のヘルスケアに効果を及ぼす可能性が示唆されたり、米国で進むADHD治療のゲームアプリ開発を目にしたことで、強みであるクリエイティビティをヘルスケア領域で活かしたいとの思いを持つようになった。

食とアプリで、健康を楽しくサポート

こうした学びに加え大林氏の力となったのが、人との出会い。この春キリングループによりリリースされた〈βラクトリン〉を軸とした新プロジェクトの一端を担うスマートフォンアプリの開発協力を行うことになったのは、大学院の同窓生から声がかかったことがきっかけだ。

HYPER CUBEはキリングループがリリースした脳トレアプリ『KIRIN毎日続ける脳力トレーニング』の開発に協力した。楽しみながら健康維持・管理ができる仕組みで、機能性表示食品〈βラクトリン〉を使用した飲料や食品の摂取状況も記録できるため、自然に継続的利用を促すことができる

これは、記憶力(手がかりをもとに思い出す力)の維持に役立つ機能性表示食品〈βラクトリン〉商品群と脳トレアプリ『KIRIN毎日続ける脳力トレーニング』を組み合わせ記憶力対策の新習慣醸成を狙ったもの。ユーザーは機能性表示関与成分βラクトリンを配合した協和発酵バイオのサプリメント、キリンビバレッジの飲料、小岩井乳業の牛乳や雪印メグミルクのヨーグルトを摂取。加えて、アプリでトレーニングすると結果が記録され独自の〈脳力スコア〉により、自分の脳の状態や日々の変化を可視化しチェックすることや、生活行動を記録することができる。HYPER CUBEはアプリの企画、設計、開発、保守を担当しているが、ターゲットである高齢者が自身の状態を体感し、楽しく継続できる健康習慣プログラムとなっている。なおアプリは無料で、商品群を購入せずとも楽しめる。

こうしたヘルスケアサポート商品は、ユーザーが変化を実感し、継続につなげることが不可欠。ここで同社のAIをはじめとしたデジタル技術と、飽きることなく遊び続けられるゲーム制作のノウハウが活かされた。

医療やヘルスケア領域では、薬などに運動・食習慣の改善を併用するのが一般的だが、患者の努力や我慢を前提とすることが多い。今回キリンが展開したような楽しみながら生活習慣を再構築する試みは、予防や治療の初期段階で力になりうる。

課題は高齢者のニーズ把握

ユーザーを楽しませるわかりやすいものづくりを得意としている同社。高齢者にも見やすい文字や色づかい、デザインを採用するなどの工夫も取り入れたが、ハードルもあった。

例えばアプリは一見するとゲームらしくない、シンプルなつくりとなっている。当初はキャラクターを多用するなど遊びの要素が強かったが、ユーザーテストやインタビューを繰り返した結果「ゲームやスマホで遊んでいるように見えるのは、きまりが悪い」との声があがったためだ。また、高齢者と一口に言っても、見やすい文字のサイズなどは年代により異なる。

「私たちは高齢者のことを知らないと痛感しました」と大林氏は振り返る。ほかにも、ゲームレベル調整やバグ修正など、最終的なテスト段階で必要なユーザーが集まらず苦労したこともあった。

今後、高齢者のヘルスケア領域は大きな事業可能性を持つ。一方でニーズの理解に加え、年齢とともに活動量が下がる高齢者の志向をどう把握するかなど、今までの商品開発にはなかった課題も生じると言えるだろう。

デジタル技術で、医療の隙間を埋める

当初は興味が薄かったヘルスケア領域だが、「今思えば事業として非常に面白く、やりがいもあります」と大林氏。この分野は働くエンジニアにもよい影響があるという。ゲーム開発の現場では、常にユーザーの興味を惹き続け、飽きさせない仕組みが欠かせない。開発側も頻繁なアップデートを求め続けられ、持続的とは言い難い事業環境に置かれている。

一方ヘルステックは、自身のノウハウが心身のサポートや生活習慣改善などに結びつくことを実感できる。新規性の提供とユーザーへの貢献のバランスがよく、「私たち開発・エンジニア側の健康にも寄与しています」と笑う。

コロナ禍もあり70代、80代のデジタル機器利用が増加したとのデータもあり、高齢者を取り巻くデジタル環境も急速に変化している。治療に至る前の段階、予防や生活習慣の改善といった視点でのヘルステック市場はますます拡大すると言える。

「今後、予防はヘルステック、疾病の初期段階は薬にヘルステックをかけあわせていく手法が主流になるのではと予想しています」

同社は長期的には、VRを用いた疾病スクリーニングや画像解析AIを用いた疾病の診断・治療補助といった方向性の展開も視野に入れる。大林氏は「薬など従来の医療を代替するのではなく、薬物療法の前段階や、治療の補助という未開拓市場を埋める事業で医療のサポートができればと考えています」と結んだ。