社会を変え、日本の未来を良くする 企業経営者自ら舵取りを

2025年7月15日、事業構想大学院大学においてセミナー「経営者に求められる構想力・実行力」を開催した。アステラス製薬会長の安川健司氏を迎えて、より良い未来へ向け、社会を巻き込み、積極的に社会へ働きかける同社の取り組みや、そうした思想に至る経緯、行動の必要性などを聞いた。

安川 健司(アステラス製薬会長)

国民に革新的な新薬が届かない
ドラッグ・ラグ、ドラッグ・ロス

「先端・信頼の医薬で、世界の人々の健康に貢献する」という経営理念のもと、社会のニーズに応える革新的な医療ソリューションを届けるアステラス製薬。医療医薬品のなかでも新薬に集中し、事業を展開している。

基礎研究から臨床試験を経て発売まで、15年ほどかかる新薬の開発。1品目に数百億円~1000億円超、売上の約20%を研究開発費に投じ、新たな薬を作り続けるというのが、同社のビジネスの特徴。近年は特に、遺伝子治療や細胞医療等の革新的な治療手段を中心に研究開発戦略を進めている。

ここ数年、ドラッグラグ・ロスという言葉がメディアの見出しにも載るようになってきている。

「米国で承認された医薬品の約7割が日本では未承認。そのうち、臨床試験が行われているのが約半分で、残り半分は日本で開発行為すらされていません。ドラッグ・ラグなら日本でもいつか発売されますが、ドラッグ・ロスで革新的な新薬が日本の国民に届かないというのは、大きな社会問題です」。

ドラッグラグ・ロスには大きく2つの原因がある。1つは経済的な要素。日本では、政府が決める薬の価格である薬価が安すぎて、製薬企業は研究開発費を回収できない。薬価を決めるための交渉では製薬会社に拒否権はなく、価格が決定するのは全ての開発・申請プロセスを終えた後であるため、ビジネスの予見性もない。加えて、インフレが続く中でも日本では毎年のように薬価が引き下げられている。結果的に、日本では製品を販売しない方が良いという判断が下されてしまう。

2つ目は薬事規制上の問題だ。日本では臨床試験に入る前に、欧米よりも多くのデータを求められる。このため、全世界で行われる大規模な臨床試験への乗り遅れが発生する。

従来の薬剤、例えば高血圧の治療薬は対症療法であるため、基本的に一生飲み続ける必要がある。

「我々が研究開発を進めている遺伝子治療や細胞医療は、1回から数回の治療で根本的に病気を治癒する可能性があります。それに見合う価値を付けていただかないといけないですが、日本では、残念ながらそうしたシステムが、まだないのが現状です」。

市民の理解を醸成する
アドボカシー活動

安川氏は社長就任後、薬価制度の改革へ向け、毎年のように関係各所へロビイングを行ってきた。しかし状況にはなかなか改善の兆しがない。

「日本国民が高品質かつ革新的な医薬品にアクセスできない根本的な原因を熟考した結果、現在の国民皆保険制度の運用に問題があるのではないかと思い至りました」。

1958年(昭和33年)、第二次世界大戦の敗戦から立ち上がろうとする中で、貧困の極みにあった日本人が医療にアクセスできるようにと制定された同制度。時代を経て国民の平均寿命が延びる中、人口の年齢構成や死亡要因となる疾患は大きく変化した。

「現在の社会保障制度は財政面において厳しい状況にあり、その持続可能性は危ぶまれています。これを根本的に変えるには、日本の社会の仕組みを再構築する必要性があり、その必要性について世論が成熟していくことが求められます。政府、国家レベルのシステム改革は、必ずしも今の社会構造や技術革新に合わせて進んではいません。長期的な視野に立ち、産業界が繁栄できる世界、公正で持続可能な社会を築くためにも社会の仕組みを再構築する。国に『産業界の意見に耳を傾けなければならない』と思わせるよう行動することが重要だと考えました」。

具体的な行動の1つとして、アステラス製薬では、アドボカシー部という独立の部隊を作った。同社及び業界が世の中にもたらす「価値」に関する国民の理解を深めるため、地域やアカデミアと連携した活動を開始している。その一環として、事業構想大学院大学との共創により、「再生医療で描く日本の未来研究会」も実施している。

「遺伝子治療や細胞医療など、イノベーションが高度になるほど、第一線の科学者と一般市民の理解レベルには大きな差ができます。難しい言葉を急に出せば、恐れを生み出す可能性もあります」。

社会実装には、イノベーションの追求とともに、創り出した価値を平易な言葉で伝える、サイエンスコミュニケーションを推進する必要がある。

「我々の生み出した価値を市民へ説明するアドボカシー活動を積極的に行うことで、市民の理解を醸成し、それによって世論が変わる。世論が変わってはじめて、政治家が動き社会の仕組みが変わっていくのです」。

2025年5月には、日本製薬団体連合会の会長にも就任した安川氏。就任挨拶では、アドボカシーとサイエンスコミュニケーションについて、業界で働く全員の責任として、製薬業界全体での積極的な行動を呼びかけた。

15年、20年後の日本で
ドラッグ・ロスが起きない仕組みを

セミナー第二部では、安川氏が事業構想大学院大学客員教授の松江英夫氏と対談。「経営者の仕事として社会を変える」思いに至った経緯と、安川氏の見据える未来について深掘りした。

表参道の事業構想大学院大学でトップセミナーを開催した。左が安川氏、右が本学松江教授

松江 経営者のミッションとして、社会を変えることが必要だと思われる理由は何でしょうか。

安川 1990年代の株主資本主義から、2010年代のマルチステークホルダー資本主義へと変わり、株主、従業員、顧客、パートナー、そして我々の属する社会に恩恵をといった考え方になったとき、これは社長が考えるべきテーマではないかと考えました。

我々の扱う新薬は、基礎研究から発売まで15年ほどかかります。つまり、15年か20年先の世界を予想しながら領域を決めるわけです。その未来に、せっかく病気が治る特効薬ができたのに、社会の仕組みの問題でドラッグ・ロスになってしまう状況は大きな問題で、放ってはおけません。

松江 新薬と同様、長いスパンで考えなければならない人材育成についても、お考えをお聞かせください。

安川 まず、若い頃に規制やルールは変えられるのだ、と実感できる経験をしておくことは非常に良いと思います。人材育成については、まず攻守のバランスの取れたマネジメントチームをつくることがポイントになります。会社を取り巻く環境が変わると、変化が必要な場合もあれば耐え忍ぶ必要がある場合もある。マネジメントチームにさまざまな人材がいれば、その中から状況にあったリーダーを選べるのです。

松江 トップ直轄のアドボカシー部を組織しての活動、世論づくりの種をまき続けてきての感触はいかがですか。

安川 ようやくドラッグ・ラグ、ドラッグ・ロスという言葉が新聞の見出しに出るようになってきました。今年の政府の骨太の方針でもかなり言及されており、浸透はしてきたと思います。

今後、世論がどれくらい変わるか分からないですが、遺伝子治療や細胞医療の領域における新薬が、2020年代後半頃には社会実装されるはずです。その時に、社会システムが古いままだから治療に使えない、または国民に理解されず、恐怖心が先だって誤解されてしまうというのは、最大の不幸だと思っています。間に合うように世論を醸成させるための活動を続けていきたいと思います。

本セミナーのアーカイブ視聴はこちらからお申込みいただけます。

※この記事は、2025年7月15日に東京・南青山の事業構想大学院で実施された事業構想トップセミナーの内容を再構成したものです。