「WELL-BEING FRONTIER」で医療界に新潮流を創造
熊本発の医療グループとして2005年に病院承継から始まった桜十字グループ。20周年となる2025年を機に「WELL-BEING FRONTIER」を新たなビジョンに掲げた。単なる医療・介護の枠を超え、身体的・精神的・社会的な健康の実現、ウェルビーイングな社会創生を目指す同社の取り組みは、医療業界に新たな経営モデルを示している。約1万人規模の組織で実践される現場発の横断組織「FLOW」は、医療法人の枠組みを超えた社会価値創造への挑戦でもある。

継承直後の経営危機から生まれた「患者の精神的満足」への着眼
桜十字グループの歴史は、2005年の事業継承から始まった。熊本県下最大級の民間病院(641床)を引き継いだが、継承直後に想定外の困難に直面することになる。
「承継後の翌年である2006年の診療報酬改定で、売上が20%下がる事態に直面しました。承継して早々、予想以上に厳しい状況でした」と同社を振り返るのは、現在執行役員CHRO(最高人事責任者)を務める丸林哲也氏だ。スタート時点で40億円だった売上は32億円に減少への減少が見込まれ、38億円まで引き上げるも、前年割れからの船出となった。
しかし、この危機が独自の経営思想を生む契機となる。2005年に病院承継した会長は、医療の専門知識がないからこそ見える改善点に着目した。当時の病院は高い塀に囲まれ、外から中の様子がうかがえない雰囲気で、療養型機能として長期入院や看取りを行う患者が多く、面会者も少ない状況だった。ここで会長が打ち出したのが、従来の医療概念を超えた発想だった。「患者さまには家族との面会が一番の栄養」「長期入院でも季節を感じられる工夫を」といった視点で環境整備を進めた。壁を取り払い、新病棟を建設し、四季を感じられる花壇を設置。花見や夏祭り、敬老祭などの季節行事も導入し、掃除、お花、食事の3つを特に重視して患者の精神的満足度向上にこだわった。
「医療は体を治すことに集中しがちですが、精神的な満足や充足を重視したのです。これが桜十字の礎になりました」と丸林氏は語る。この「目の前のことに最善を尽くす」カルチャーは、20年経った現在も継承されている。

人材戦略による組織変革の実証
丸林氏自身の過去の経験が、現在の人事戦略の根幹を形成している。2012年に桜十字グループに入社した同氏は、東京でのITコンサルタント経験を経て、当初は「病院にビジネスマンが勤める」という発想に戸惑いながらも、病院経営の可能性に魅力を感じて入社した。転機となったのは2017年、グループ傘下の医療メディア企業「メディカルトリビューン」への出向だった。医師向け新聞を発行する当時約50年の歴史を持つ企業だったが、デジタルシフトの波により業績が低迷。「業績が上がらない状況で、多くの管理職が退職していました」。
この状況に対し、経営経験もなく、メディア業界にも明るくない状況だったが、丸林氏は代表就任を志願した。「経営をやりたいと思い桜十字に入社しました。また、困難な状況だからこそチャンスだと捉えました」。結果的に1年で黒字化を実現し、その後5期連続で黒字を維持した。
この成功体験から導き出されたのが「組織は人で成り立っている」という確信だった。「メンバーはほぼ変わらないのに業績が激変したのは、人の動き方と考え方が変わったからです」。成功要因として、業績不振により自然と生まれた「危機感の共有」と、業界未経験者だからこそできた部門横断的なコミュニケーション促進を挙げる。
「編集会議にも営業会議にも参加しました。それぞれの部門が抱える課題を直接聞くことで、部門間の連携不足が見えてきました」。幹部全員が集まる会議を設置し、組織力向上を図ったことが、「人のパフォーマンスを最大化することが経営の大きな役割」という考えにつながっている。
規模拡大の課題と現場発の組織変革
2024年7月、丸林氏は桜十字グループに復帰するが、出向していた7年間で、桜十字グループの売上・従業員数ともに約4倍に成長。拠点も事業領域も大幅に拡大していた。「以前は一緒にイベントを企画し、チームワークを築いていましたが、規模が大きくなることで組織の結束に対し、より意識的に取り組む必要が出てきました」と丸林氏。コロナ禍により大規模なイベント開催が困難になったことも、新たな組織運営の工夫が求められる背景となった。
2025年に掲げた新ビジョン「WELL-BEING FRONTIER」の社内外への浸透を図るため、社員発の横断組織「FLOW」が生まれた。人材開発本部・企画広報マーケティング本部・カルチャー&クオリティー本部の3部門の社員が自発的に立ち上げたプロジェクトで、2035年までに「桜十字=ウェルビーイング」というブランド確立を目標としている。
新ミッション「WELL-BEING FRONTIER」は、「人生100年時代の生きるを満たす。」というビジョンをテーマに、医療・介護という従来の枠を越え、「人びとのしあわせ」を自ら定義し直していくための行動指針である。桜十字は「Well-being」という概念に対し、身体的・精神的・社会的な健康を基盤としながら、あえて定義を限定していない。「定義することで、自分たちができる範囲を狭めてしまう可能性があります。人の幸せを突き詰めれば、あらゆる分野につながる」と丸林氏は説明する。この考え方により、従来の医療・介護の枠を超えて、プロバスケットボールチーム運営や自動車メーカーとの協業、睡眠改善分野への参入など、多岐にわたる事業展開を可能にしている。
FLOWの中心メンバーである日髙氏は、発足の経緯をこう語る。「各部署で同じような悩みを抱えていることに気づき、連携の必要性を感じました。ウェルビーイングをどう社内外に広めるか、情報が錯綜している状況を整理したかったのです」。こうした自発的な取り組みができるのは、桜十字グループの「やりたいことは、やってみよう。桜十字は走りながら考える集団」という組織風土があるからだと日髙氏は説明する。
「これまでは強いリーダーシップで事業拡大してきましたが、規模が大きくなった今、自律的な組織づくりが不可欠です」と丸林氏。FLOWの活動は、トップダウンから現場主導への組織変革の象徴となっている。「完全に現場から生まれた取り組みで、これが成功すれば良い事例となり、他の自発的な活動も生まれてくると期待しています」。

2035年への構想と医療界の新モデル
この柔軟性により、同社は医療・介護の枠を超えた事業展開を実現している。プロバスケットボールチームの運営では、熊本の観客動員数が年間10万人を超え、高齢者も含む幅広い層がチーム応援に参加することで社会参画や精神的健康向上に寄与している。自動車メーカーとの協業では高齢者の運転支援プログラムを共同開発し、睡眠改善分野では東大発ベンチャーとの共同開発など、予防医療領域での取り組みも拡大している。「病院を持ちながら、こうしたビジネス領域に進出する企業は珍しく、これが最大の強みです」と丸林氏。
現在約1万人の従業員を抱える同社では、独自の研修プラットフォーム「SAKURAアカデミー」を構築し、マネジメントやコミュニケーションなどのヒューマンスキル向上に注力している。特に重要視しているのが次世代経営層の育成だ。「創業から20年が経ち、40代後半がボリュームゾーンとなっています。次の世代を発掘し、機会を提供する必要性を感じています」。
組織運営では、トップダウンとボトムアップの使い分けを重視している。創業時から受け継がれる「ハッピースパイラル」の理念では、「社員→患者さま→地域社会」の循環を基本とし、起点となる社員のウェルビーイングを重視している。「社員がやりがいを持ち、能力を発揮できる環境を作れば、患者さまに素晴らしいサービスを提供でき、結果として地域社会に貢献できる」との考えだ。
「5年後、10年後にウェルビーイングな状態の社会を実現したい。桜十字がそのモデルケースとなり、同様の取り組みをする企業が増えることを願っています」。丸林氏が描く未来像は、医療法人の枠を超えた社会貢献だ。
創業20周年を迎えた桜十字グループ。医療・介護からスポーツ、エンタメまで多角化を進める同社の挑戦は、人口減少・高齢化が進む日本社会において、医療法人の新たな役割を示している。「病院なのに病院らしくない」独自性を武器に、ウェルビーイング経営の先駆者として業界に新風を吹き込み続けている。組織の自律性と成長を両立させる経営モデルは、医療業界のみならず、多くの企業にとって示唆に富んだ事例となるだろう。