食と車を軸に多角化、成長戦略の柱は「日本の価値を世界へ」

1920年に米穀卸売業として創業以来、事業の多角化を成功させてきた荒井商事。バン・トラックの中古車オークションなどのニッチな業界にも参入し、次々と新規事業を立ち上げるその構想力の源とは――。4代目の荒井亮三社長に話を聞いた。

荒井 亮三(荒井商事代表取締役社長)

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目指して、創業100年

――2020年に創業100周年を迎えられました。これまでの軌跡を振り返りながら、ターニングポイントとなった事業を教えてください。

当社は1920年に、荒井源太郎が神奈川県平塚市にて米穀卸売業として創業以来、時代の変化に合わせて多角的に事業を展開してきました。新事業進出の第一歩は自動車学校の設立にあります。当時はモータリゼーションの黎明期で免許取得のニーズが高まっていましたが、地域内には教習所がなく、遠くの学校まで通わざるを得ない状況でした。そこで1960年に荒井自動車学校を設立し、県下6番目の教習所公認校を開校しました。

1920年、神奈川県平塚市にて米穀・雑穀・飼料の卸売として創業

1964年には、日本初の食品卸のワンストップショッピングを実現した総合食品市場を神奈川県平塚市にて開設しました。背景には、父である荒井権八の海外展開志向が影響しています。海外が身近ではない時代でしたが、権八は視察先の米国・ミネアポリスでショッピングセンターという業態に出会いました。一方、国内の小売店では仕入が難しいという問題を抱えていたことから、小売業者自らが商品を選び現金で決済して持ち帰るという仕入れ方法を実現するため、キャッシュ・アンド・キャリー(現金持ち帰り問屋)の総合食品市場を開設したのです。

――米穀卸売からの新たな事業展開には、先代のチャレンジ精神や先見性を感じますね。

2代目の権八は今で言うベンチャー起業家で、新事業を次々と興すことが好きな人でした。権八のチャレンジ精神の象徴的存在が、総合食品市場の一角で40年間経営を続けてきたパチンコ店です。横浜市栄区の1店舗のみですが、市場の営業は午前中が主となるため、営業後の敷地の有効利用(二毛作的なアイデア)を考えたものです。

もう1つは、ブラジルで最も人気のある清涼飲料の独占輸入販売です。中南米に赴いたのをきっかけに、1980年にブラジル最大の飲料メーカー・アンタルチカ社と業務提携し、ガラナ飲料「ガラナ・アンタルチカ」の日本および東南アジアにおける独占販売権を取得しました。こうして振り返ると、人が手を出しにくい事業であってもビジネスをビジネスとして捉えられるところが、権八の強みだったと感じます。そんな先代の好奇心やユニークな視点、先見性は荒井商事のDNAとして脈々と受け継がれています。

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