古着屋として創業し、70余年にわたり中古品の価値を高めるリユース事業を展開してきたコメ兵。時代のニーズに応え、ブランド品の充実、フリマアプリ事業への参入などを積極的に行い、AI真贋の導入にも力を注ぐ。同社の強さと将来展望について、四代目社長の石原卓児氏に聞いた。
中古衣料販売から
リサイクルデパートへ
衣料品の配給制度が続いていた1947年、名古屋市大須にわずか5坪の中古衣料販売「米兵商店」が誕生した。創業者の石原大二氏は半田市周辺でリヤカーを引いて古着を集め、行商で売りさばいて開業資金を集めたそうだ。以来、モノは人から人へ伝承され、有効に活用されてこそ、その使命を全うするという“ リレーユース”を核に経営を続けたコメ兵は、全国に約50の実店舗のほか、宅配による買い取りやフリマアプリの運営なども展開する企業へと成長を遂げた。

1947年、名古屋市大須に創業した中古衣料販売「米兵商店」
「修理、真贋判定など、当社が介することでモノの価値を上げてから新しい持ち主へお渡しするというビジネスを70年続けてきたことが『コメ兵なら信頼できる』というブランド力につながっていれば幸いです」と、同社代表取締役社長の石原卓児氏は語る。

コメ兵 代表取締役社長
創業家に生まれた石原氏は、幼少期に訪れた店舗にベッドや仏壇などが並ぶ様子をはっきりと記憶していると言う。生活必需品の買い替え需要が旺盛だった高度成長期に、「いらんものは米兵へ売ろう」のキャッチフレーズでCMを打ち、総合型リユース店として名古屋での知名度を上げていった。87年に社名を「コメ兵」に改めたのは、全国展開に備え「べいへい」と誤読されるリスクを避けるためであった。
大きな転換期を迎えたのは、1990年代中頃だ。バブル時代に百貨店の1階に続々とブランドショップが進出した結果、高額品を中心に買取り需要が一気に高まりを見せたからだ。
「坪効率が悪い大型家具や季節変動が大きな衣料に比べ、ブランド品は魅力的な商材でした。そこで、東京や大阪の中心地に買取センターを作って品揃えを強化したのです」
さらに、バブル崩壊により当時のコメ兵パート1(現名古屋本店)に隣接する金融機関が撤退したことで1フロア60坪から200坪への増床が叶い、2000年に『スーパーディスカウントリサイクルデパートコメ兵』として新装オープン。百貨店顔負けの店構えで中古販売店のイメージを一新させた。
残り62%
会員の方はここからログイン
バックナンバー