平田オリザ氏が地方に移住 豊岡を世界最大の演劇祭都市に

日本の現代演劇を牽引してきた劇作家が、2019年、地方に移住する。東京の「こまばアゴラ劇場」を拠点に活動してきた平田オリザ氏は、自ら主宰する劇団「青年団」を兵庫県豊岡市に移転。その地で世界最大の国際演劇祭の実現を目指している。

平田 オリザ(劇作家・演出家・青年団主宰 城崎国際アートセンター 芸術監督)

地方移住を決断した理由とは

――兵庫県豊岡市に移住し、劇団も移転される理由をお聞かせください。

平田 2021年4月、豊岡市に演劇を必須科目とする県立大学「国際観光芸術専門職大学(仮称)」の開校を構想中です。私は数年前から同大学の設立に携わっており、初代の学長候補となっています。

それで、豊岡にいないと学長は務まらないので移住しようということです。ただ劇作家・演出家としての活動をやめるわけではないので、移住するなら劇団員を連れていかなければならない。それで、劇団ごと移転することしたんです。

実は劇団員には10年以上前から、条件の良いオファーがあれば、地方への移転があり得ると伝えていました。劇団員にとっては「いよいよ来たか」と。ただし、豊岡に移住するかどうかの選択は各自に任せていて、完全に移住する人もいれば、1ヵ月、2か月間の稽古期間中だけ単身赴任で豊岡に来る人もいます。

今、JR江原駅の近くにある旧豊岡市商工会館の建物をリノベーションしていて、そこが劇団の事務所兼小劇場になります。私自身は今年9月に移住し、劇団自体は来年4月に主な事業を移管。最終的に20人ほどの劇団員が移住する予定で、家族を入れると40~50人になります。

JR江原駅の近くにある旧豊岡市商工会館。現在、リノベーションが進められており、平田オリザ氏が主宰する劇団「青年団」の事務所兼小劇場となる

――東京のような一定数の演劇ファンが存在する都市圏でないと、劇団の運営は難しいのではないですか。

平田 今回の移転は、一般企業で言えば、生産拠点を移すようなもの。豊岡は稽古をし、芝居をつくりあげていく拠点になります。もともと、上演は国内外のいろんな場所で行っていますし、生産拠点はどこにあってもいい。今後も東京でも上演しますし、「こまばアゴラ劇場」が無くなるわけではありません。

それに、豊岡はとてもポテンシャルのある地域です。すでに劇団の倉庫を豊岡に移しましたが、土地の値段は東京の10分の1程度。交通の利便性も高く、新しくできる劇場は駅から徒歩1分、最寄りのインターから車で5分、コウノトリ但馬(たじま)空港から車で10分です。渋滞もなければ、駐車場にもお金がかかりません。

また、豊岡には魅力的な温泉地、城崎温泉があります。インバウンドが非常に好調で、5年間で外国人観光客が40倍に増えています。豊岡が国際的な観光地として富裕層の連泊を狙うなら、昼のスポーツと夜のアートは必須。豊岡は1市5町が大合併した広域な地域ですが、夏は海水浴やシーカヤック、冬はスキーが楽しめます。そこに演劇というアートを組み合わせれば、魅力的なリゾート地になります。

情緒あふれる城崎温泉は、文人墨客の逗留地として親しまれてきた歴史を持つ

ただ、私たちは零細企業ですから、移転による直接的な経済波及効果はそれほどありません。それよりも、劇団員は宵越しの銭は持たないので消費はする(笑)。それは冗談ですが、劇団が地域に貢献できる方法はいろいろあって、例えば若い劇団員は東京でバイトをしながら役者をやっていますから、豊岡でも旅館や農業のお手伝いをしながら演劇をすれば、人手不足の解消につながる。仕事をうまく組み合わせながら、地域に合った働き方ができないかと考えています。

そもそも、特定の仕事に就いて定年まで勤め上げるというのは都市のモデルだと思っていて、人口が少ない地方では、1人が複数の役割をこなすのが当たり前です。百姓は100の仕事をするから「百姓」なわけで、本来、農村地帯ではそうだったはず。都市の論理を無理矢理、地方に当てはめたことで、齟齬のある状態が続いてきたのだと思います。

世界的なアーティストが
普通に歩いているまちに

――平田さんは、「城崎国際アートセンター」の芸術監督も務められています。

平田 城崎国際アートセンターは2014年にオープンした施設ですが、以前は兵庫県立城崎大会議館という1000人を収容できるコンベンションセンターでした。しかし、稼働率がとても低い状態が続いていて、県からその施設の払い下げを受けた豊岡市は活用方法を模索していました。

舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンスに特化した文化施設「城崎国際アートセンター」。世界的なアーティストが城崎温泉に滞在し、創作活動を行っている

私が最初に豊岡を訪れたのは講演に呼ばれたからでしたが、その時、城崎大会議館についても相談を受けたんです。その背景には、豊岡市の中貝宗治市長が「劇団に貸し出してはどうか」というアイデアを持っていたことがあります。

私は現場を見せてもらってアドバイスを送り、それはその時だけの関係に終わらず、アドバイザーとして継続的に関わるようになりました。そうした流れの中で城崎国際アートセンターが誕生し、私は2015年から芸術監督を務めています。

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