2019年8月号

新規事業開発のための広報視点

家庭で子どもと考える スマホなどの新メディアとの接し方

富井 久義(事業構想大学院大学 准教授)

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テクノロジーの進展とともに、コミュニケーションのありかたが変容している。これにより、子どもたちへのメディア・リテラシー教育の重要性が増している。家庭内での教育のあり方も変わっていくことになるだろう。

テクノロジーの進展と
コミュニケーションの変容

現在も続く情報通信端末やインターネットをめぐるテクノロジーの急速な発展は、人びとのコミュニケーションやメディア接触のありかたを大きく変容させた。

例えば私たちは、SMS、Eメール、LINEなど、新たなコミュニケーションツールが登場するたびに、それをなんなく/なんとなく/なんとか使いこなせるようになり、結果として、非対面でのやりとりをリアルタイムでおこなう能力を身につけてきた。家族間でのコミュニケーションを例にとれば、連絡手段としてLINEを使うことは日常的になり、オンラインの共有カレンダーを使えば、家族全員の予定を家にいなくとも確認できるようになった。子育てにおいても、育児にまつわる情報を調べ、写真や記録を残し、子どもをあやす多彩なツールとして、スマートフォンは活躍している。

スマホ依存がもたらす問題

こうした状況のなか、スマートフォンの急速な普及と軌を一にするように、情報通信端末やインターネットの利用頻度の高さに「依存症」という観点から警鐘を鳴らす議論が展開されている。

曰く、スマートフォンへの依存的な傾向は、学力の低下、視力や身体能力の低下、睡眠不足などの生活リズムの乱れ、対面的なコミュニケーション能力の低下などの問題を引き起こし、さらには、インターネット上での人間関係のトラブル、金銭トラブル、有害情報・人物への接触などの危険に直面する可能性を誘発するという。そのため、使用においては親子間でルールをつくり、過度の使用を抑制できるような環境を醸成することが重要だという結論が導かれている。

こうした主張は、数多の事例紹介や数量調査の分析、脳機能の検査などの証拠をともなってなされており、一見科学的にもっともらしい。他方で、「決定的な研究成果を待っていられない」とか「メカニズムについては依然として不明なまま」といった科学的に誠実な言明を目の当たりにすると、こうした議論は、実は論者が望ましい規範を先取りして、それを追認する価値判断をもっともらしくしているだけなのではないかと、考え込まされてしまう。

勉強以外にうつつを抜かして成績を落としたり生活リズムを乱したりするな、外で遊んで身体を鍛えろ、危ないところへ出かけたり危ない人に近づいてトラブルに巻き込まれるなといった警鐘は、スマートフォン登場のはるか以前から、親から子へ伝えるべきとされてきた事柄である。望ましい社会規範から逸脱するような過剰な没頭を排し、 社会性のあるバランスのとれた人物になることを求める立場の表明が、題材を変えて繰り返しおこなわれているに過ぎないような気がしてくる。

新たな技術を回避できるか

科学的に厳密な議論をする以前に考え込まされてしまうこともある。これらの議論で主張される情報通信端末やインターネットへの接触を回避して生活することは、果たしてどれだけ可能なのかということである。

現に私たちは、日常的に、肌身離さず持っているスマートフォンを活用し、パソコンをなんなく/なんとなく/なんとか使いこなす生活を送っている。さらに、教育行政においても、AI人材の育成・プログラミング教育の充実がうたわれ、ICT機器を活用した教育が推進されるなど、情報通信端末やインターネットの活用を前提としなければ成り立たない施策が打ち出されるようになっている。

こうした状況にあって、子どもに情報通信端末を使わせないためには、どのような論理立てをすればよいのだろうか。あるいは、子どもたちはどの時点でどの程度のリテラシーを身につければよく、そのためにはいつまで情報通信端末やインターネットの接触を避けるべきで、いつからそれらについて学べばよいのだろうか。

大人もキャッチアップが必要に

つまり私たちは、情報通信端末やインターネットを回避することを考えるのみならず、それを徹底的に使いこなしていくということについても真剣に考えなければ、子どもに適切なメディア・リテラシーを学ばせることができないのではないか。メディア・リテラシーとは、思い起こせば、たんなる反メディア運動ではなく、メディアを意識的にとらえ、批判的に吟味し、自律的に展開する営みと、それを支える術や素養を指すのであった。

とはいえ、またすぐに考えさせられるのは、私たちは、誰でもなんなく新しいテクノロジーを使いこなしているわけではないという事態である。私たちは、自分たちが必要とする機能を、トライアル&エラーで、あるいは誰かに尋ねることで間に合わせのリテラシーを身につけ、なんとなくあるいはなんとか使いこなしてきている。こうした状況にあって私たちは、思いがけず子どもたちが利用するようになった新たなテクノロジーを即座にキャッチアップし、適切なルールを子ども向けに設定できるだけのメディア・リテラシーを持ち合わせているのだろうか。

すでに情報通信端末やインターネットの利用が浸透している社会において、その利用を回避せよという主張が過剰な要求になってしまっているのと同様、新たなテクノロジーをめぐるメディア・リテラシーを適切に身につけられるよう、 時機を得て子どもに適切なルールを設定せよという要求もまた、過剰になりかねない。

メディア利用の機会を制限しない

では、家庭におけるメディア・リテラシー教育は不可能なのだろうか。そんなことはない。私たちは、新たなテクノロジーの登場に応じて、なんなく/なんとなく/なんとかリテラシーを身につけてきたのであった。その経験に従うならば、子どもたちのメディア・リテラシーもまた、メディアを自ら使いこなそうとする過程でこそ身につくものだと考えられるのではないか。

その試みは、つねに親が明示的にコントロールする環境下でおこなわれるわけではない。むしろ、親子間で定めたルールをかいくぐり、親のコントロール外で接触する情報を子ども自らの手でコントロールしようとする過程にこそ、親が想定する以上のメディア・リテラシーを身につけるチャンスがある。そして子どもたちは、望ましい規範との距離をはかることでこそ、セルフ・コントロールの主体であることを表現しているのである。

このように考えれば、家庭における大人の役割は、子どもを、メディア・リテラシーを身につける責任主体とみなしたうえで、メディア利用の機会を提供することにあるといえる。

もちろん子どもは、常にコントロールに成功するわけではなく、そうした試みにはリスクが存在する。しかしそれは、インターネットの世界に限らない、社会生活一般で直面するのと同型のリスクである。

その意味では、大人は、必ず守られるべき規則の設定と事後的なセーフティネットを検討というかたちで最終的な責任主体としての配慮をなしたうえで、子どもが自律的に情報通信端末やインターネットを使いこなす術を身につけていくことを見守るという、ある意味では常識的な対応が、メディア・リテラシーの育成のために求められるのではないか。

 

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