国産ジーンズ発祥の地 「畳」を楽しい成長産業へ導く

生活様式の変化で需要が減少傾向にある畳。そのような中、畳縁(たたみべり)メーカーの髙田織物は、今までにないアイデアで逆境を乗り越えている。ジーンズで有名な児島地区全体の活性化のキーパーソンでもある同社代表取締役の髙田幸雄氏に話を聞いた。

敷きっぱなしの畳に
「縁」から注目してもらう

明治元年ごろに創業し、繊維業が盛んな児島エリアにあって、細幅織物に特化したメーカーとして歴史を歩んできた髙田織物。大正の関東大震災を契機に畳縁の需要が飛躍的に伸び、同社も昭和の始め頃から畳縁の製造に力を入れるようになる。常に業界の先陣を切って新技術を採り入れて製品の幅を広げ、押しも押されもせぬ畳縁のトップメーカーへと成長を遂げた。

髙田 幸雄(高田織物 代表取締役)

1980年代の後半には、流通面での大きな革新に乗り出した。それまで、畳縁の選択は畳店の一存で決まることが多く、工務店にも家の持ち主にも「選ぶ」という概念がなかった。しかし、髙田織物は、販売時にデザインを選んでもらうことで、自社製品の差別化のみならず、畳関連商品全体の高付加価値化に貢献しようと試みたのだ。

「全国生産の80%を占める倉敷市の畳縁は重要な地域資源であり観光資源ですが、残念なことに畳縁が一般消費者に意識されるのは畳替えの時くらい。一生に数回あれば多いほうでしょう。業界内でも、付属品という扱いで、畳縁そのものの価値を問われるようなことはなかったけれど、それでは商売として面白くないですからね。社長になってからは、遊び感覚でオリジナル商品をつくるようになり、少しずつ面白くしていきました」と、髙田氏は振り返る。

近年は、「ハローキティ柄」などライセンス商品も大ヒットを飛ばし、国内での流通だけでなく、日本古来より伝わる「和の素材」として海外に紹介できる商品の開発も進めている。また、畳縁を用いた小物や、畳縁自体を細幅織物の"生地"として手芸愛好家向けに販売するなど、新たなビジネスを展開。その代表的な商品が、祝儀袋「縁結びの神様」だ。畳縁の「縁」は、縁起物の「縁」であり縁結びの「縁」でもあるということで、えにしを広げる思いを込めた祝儀袋にはピッタリだとの発想から、水引の折り畳み部分にしおり状に加工した畳縁を挟むデザインが誕生した。古典的な柄からモダンな柄まで全60種類をラインナップし、相手に合わせて選ぶ楽しみも提供する。

水引の折り畳み部分にしおり状に加工した畳縁を挟んでいる

「祝儀袋のような大切なものを包んで折りたたむ紙は、『多当紙』と総称されますが、もともとは『畳紙』と表現されていたのです。畳が、茣ご蓙ざや菰こもといった敷物を総称する言葉だった頃は、今のように部屋に敷いたままにするのではなく、必要に応じて敷いたり折り畳んでしまったりしたことに由来する言い回しのようです。そんな畳の歴史や使い方などを、弊社の商品をきっかけに知ってもらえたら嬉しいですね」

2014年に本社敷地内にオープンした直販店「TATAMI-BERI FACTORY SHOP FLAT」では、こうしたグッズの販売を行っているほか、およそ1000種類もの畳縁を直接見て触れることができる展示ギャラリーも併設している。自社工場のスタッフが丁寧に素材の説明をしながら販売できるのが特徴で、観光スポットとしても人気だ。「今まで畳縁の存在を意識していなかったお客様や、興味を持っていなかった方々にも畳縁の持つデザイン性や畳文化をお伝えし、畳縁の魅力に気づいてもらえたら」との願いを込める。

数々のアイデアをもとに、畳縁を一般消費者に身近に感じてもらうための様々なグッズを制作・販売している

「最近は、ショーウィンドーの飾りに使ってくださる地元のお店や、本と一緒に雑貨を販売してくださる書店なども出てきて、畳縁の製造だけでは得られなかったネットワークが広がってきました」と語る髙田氏。27歳で父親から事業を継いだときは、石油ショック直後の苦しい時期だった。だからこそ、「開き直って新しい発想を試すことができた」という常識にとらわれない挑戦が、畳業界全体を、そして児島という町全体を変えてきたようだ。

「ファッションタウン」として
畳もジーンズも学生服も一蓮托生

「地域を活性化させるには、印象に残る物語が必要です。古事記において『吉備の児島』は、日本で9番目に誕生したと記されています。そこで、古事記編纂1300年に当たる2012年に、私が会頭を務める児島商工会議所に『吉備の国児島 古事記編纂1300年実行委員会』を立ち上げ、この町の歴史物語を地域内外の皆さんに広くお伝えするとともに、『せんいのまち児島』のイメージアップにつながる活動を進めています」

50歳という若さで児島商工会の会頭になった髙田氏は、青年会議所時代から同世代の若き産業人たちと、児島の活性化について話し合ってきた。じりじりと低下する地域産業、空き地ばかりの中心街を、なんとか活気ある町に変えたいともがくうち、繊維産地振興策として1998年から取り組んできた「ファッションタウン政策」をテコ入れし、産地振興策である「MONOまちづくり」という政策と掛け合わせることで、繊維産業の枠にしばられない活性化策を打っていこうと動き始めた。

「いくら国策だ、町づくりだと声高に叫んでも、産業に元気がなければ町も元気になれません。まちづくり・ものづくり・くらしづくりの3つを同時に、立体的に盛り上げていく方法を、私たちのような商売人だけでなく、町内会も、行政もどんどん巻き込んで考え、実行していくために、ちょっとした奇策を講じました」

その奇策とは、トライアスロンの大会開催を通じて、仲間を増やすことだった。会場を提供すれば、美しい児島の海を観光してもらうことができるし、アスリートたちが走る道や、応援に来る人たちが使う交通、宿泊場所などを整備することは、安心安全な町づくりにつながる。そして、トライアスロンに関わるウェア類の製造は、繊維産地としての腕の見せどころだ。

1999年に開催された「第1回ファッションタウン児島国際トライアスロン大会」には約500人のアスリートを迎え、大会運営を支える3,500人のボランティアを組織することは、そのまま地域コミュニティの再生につながった。コースの一部に使われた商店街は、シャッター通りと呼ばれたのが徐々にかつてのにぎわいを取り戻した。満足度第1位に輝いたこともあるトライアストン大会は地域恒例のイベントとなり、現在も倉敷国際トライアスロン大会として継続されている。

「ビジョンを共有する仲間が集まったところで、翌2000年8月に児島商工会議所会頭として実行計画書をまとめました。下は高校生から、若い人たちの意見をふんだんに盛り込んだ24,000世帯・3万人を対象としたアンケートです。1万8000人からのご回答、4000件ものフリーアンサーが計画書の骨子になりました」

2001年4月、児島地区内の市民団体・各種団体企業等約80団体(当時)で組織しているファッションタウンサミット児島推進協議会は、「ものづくり」「まちづくり」「くらしづくり」を一体的に推進する「ファッションタウン児島ビジョン」を発表。2002年秋には、全国のファッションタウン推進運動に取り組む関係者が一堂に会し、実践・体験・確認する場としての「ファッションタウンづくり全国大会2002」が開催され、全国から約300名が参加した。

そして、2005年の愛知万博のクリエイティブジャパン会場で「国産ジーンズ発祥の地、児島」を発信。売りに行く商売から買いに来ていただく商売へ転換し、"産業観光"を推し進めていくターニングポイントとなる挑戦だった。「ちょうど、海外製の激安ジーンズが出回るようになった頃だったので、割高な国産ジーンズをPRすることに疑問を呈する声もありました。しかし、私が畳業界に身を置く門外漢だったからこそ『倉敷のジーンズなら、世界で勝てる競争力がある』と客観的に確信できたし、意志を貫くことができたのだと思います」

国産メーカーの逆襲を好意的に採り上げるメディアも多く、PR活動は大成功。これが、後のジーンズストリートの誕生にもつながっていった。畳だけ、ジーンズだけが単独で活動するのではなく、「児島産地丸ごとブランド化」を目指すことで、その地域の歴史や文化や芸術なども同時に発信できたことが大きな成果を上げたのだ。

高田織物の自社工場

歴史的な節目を迎え
さらなるステップアップを

2017年に児島商工会議所は70周年を迎え、2018年は児島と本州がつながって400周年、学生服の縫製開始100年、瀬戸大橋開通30周年......と地域にとって大きな節目が続いた2年間。折しも、2017年度に倉敷市が申請した倉敷物語「一輪の綿花から始まる倉敷物語 ~和と洋が織りなす繊維のまち~」が日本遺産に認定され、地域における「ものづくり」と「まちづくり」の一体化からスタートしたファッションタウン運動は、さらに上の段階へとステップアップする時期を迎えていると言えそうだ。

「倉敷、児島に来てくださった方に、この地域の歴史を知っていただき、文化・芸術に触れていただき、いろいろとお買い物をして、なかなか帰れないようにしたいですね」と笑顔で語る髙田氏。畳縁市場で35%という圧倒的なシェアを誇り、ピーク時には日に4万畳分、長さにして約160kmを製造するという髙田織物が、地域活性化の牽引役を担っていることは間違いない。

現在は、直営店の来訪者や『メゾン・エ・オブジェ2015』の来場者からの要望や反響などを参考に、新たなアイデアを模索中だ。たとえば、畳縁より幅の広い腕章やタスキなどの製造も始まっており、海外では珍しいポリエチレンなどのモノフィラメントを素材に使った新柄が増えていけば、さらに新しいファンを獲得できるだろう。

また、高い生産性を保ちながら、少量多品種による在庫が膨らまないよう、10畳分(40m)からの小ロットには受注生産で対応。どうしても発生する残反は、ショップ販売用の商材として活用するなど、ビジネスを続けていくための仕掛けも忘れていない。

「畳縁を一般消費者に身近に感じてもらうためにグッズの販売やギャラリーの運営にも力を入れていきますが、あくまでも主力事業は売上の9割を占める畳縁です。

2020年の東京オリンピックという、世界にアピールできる絶好のチャンスも控えていますので、海外の方や日本の若い皆さんにも、畳のある暮らしの魅力、岡山が誇る和製織物の魅力を伝えていきたいですね」

 

髙田 幸雄(たかた・ゆきお)
高田織物 代表取締役