会社が苦しい時こそオープンであるべき
危機意識を社員と共有
荻田:アサヒビール営業マン時代の最も思い出深い出来事は、1987年の「アサヒスーパードライ」の発売です。本当に魅力のある商品は店頭を動かす力がある。そのパワーのすごさを初めて経験しました。そして、2001年には夢にまで見た業界トップシェアを取ることができました。
上野:アサヒビールの専務執行役員からアサヒ飲料に移られたのは、その翌年の2002年でしたね。
荻田:正直なところ、「これで自分のサラリーマン人生は終わったな」と思ったものです。当時のアサヒ飲料は3期連続赤字で、債務超過に陥るのは時間の問題と言われていました。先輩方が業績を改善できなかったのに、私ができるとは到底思えませんでした。ただ、会社をつぶしてはいけないという思いだけは持っていました。そこで考えたのは、アサヒ飲料の現状を、いいことも、悪いことも、すべて赤裸々に社員に伝えようということです。商品のコストや利益構造など、あらゆることを経営陣の責任で進めることもその時に決めました。ここでもまさに広報が重要で、あるがままの情報を伝えるようにしました。アサヒ飲料時代は、経営者としてしなければいけないことは何かを学びました。
経営理念は立ち戻る原点
上野:2006年に社長としてアサヒビールに戻られました。トップとして、マーケティングコミュニケーションと、インターナルコミュニケーションの両方で、非常に気を遣われたのではないでしょうか。戦略的には内と外のバランスを保つことが重要なので。
荻田:私は広報活動というのは、「社内向き」が大切だと考えてきました。もちろん、経営トップとしての考えをマスコミの取材を通じて社外に発信したりしますが、それは社会を通じて社内に発信しているともいえる。そんな思いを強く持っていました。
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