工芸再生の請負人13代目中川政七が「観光事業」に参入する理由

2016年、創業300周年を迎えた中川政七商店の13代中川政七氏は、工芸業界に特化したコンサルタントという顔を持ち、多くの工芸メーカーを蘇らせてきた。その経験から、今後の工芸界は「産業革命×産業観光」がカギを握ると見ている。

2016年に創業300周年を迎えた中川政七商店は、SPA(製造小売)業態の確立やブランディングによって大きく業績を伸ばした。このノウハウを活かし、各地の工芸メーカーの再生を行っている

日本の工芸を元気に

「日本の工芸を元気にする。そう宣言したからには、やるしかない。世界的に工芸の市場は縮小しているので、もし100年後、日本全国にある300の工芸の産地が残っていたら、『工芸大国・日本』になると思います。そうしたら、世界から日本の産地に人が訪れるようになるでしょう。そこまでを目標に次の100年を戦っていきたい」

自分の代では終わらない、100年先を見据えた構想を話す中川政七氏の視線は、厳しくもあり、またどこか楽しげだ。1716年に奈良で創業し、手績み手織りの麻織物の製造・卸・販売業を営み、2016年に300周年を迎えた中川政七商店。その13代として、中川氏は全国を駆け巡る日々を送る。

中川 政七(中川政七商店 13代)

2002年に父親が経営していた中川政七商店に加わり、2008年に社長に就任した。入社時に12億円だった年商を46億8000万円(16年2月)にまで拡大した原動力である。

中川氏が「日本の工芸を元気にする!」という大きな目標を掲げたのは、2007年。その言葉の裏には、厳しい現実があった。

「中川政七商店のうしろには、何十・何百という協力メーカーがあります。それらの企業が次々に廃業していくのを目の当たりにして、このままでは20年後、30年後にうちの商売も成り立たなくなるという危機感がありました。そこで自社で培ったノウハウを、ほかの工芸品の再生に活かせないかと思ったのです」

ノウハウとは、「商品をいかに売るかではなく、いかにブランドを作るか」。

中川氏は、ものづくりの想いを直接消費者に伝えるために、表参道ヒルズへの出店(06年)など直営店の拡大を進め、工芸メーカーとしていち早くSPA(製造小売)業態を確立。同時に、「ブランドマネジャー」というポストを設置し、社内の企画やデザイン力を強化し、商品数を増やして売り上げを急伸させてきた。

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