消費者ではなく「顧客」をつくる 日本百貨店の地方創生戦略

日本全国から選りすぐりの食品・伝統工芸品・雑貨を販売する「日本百貨店」。職人や農家などの「作り手」と直接触れ合える店舗は、客足が途絶えることはない。地方と都市を結びつけ、日本のモノづくりを再生しようという取り組みに迫った。
文・中嶋聞多 事業構想大学院大学 副学長

 

日本百貨店は「モノづくり」と「日本のスグレモノ」がテーマ

「人」と出会える百貨店

秋葉原~御徒町間のJR高架下に立地する商業施設「2k540AKI-OKA ARTISAN」。白く塗装されたモダンな空間に、ギャラリーや工房、カフェなど「モノづくり」をテーマとした49店舗が軒を連ねる。なかでも、独自の視点で日本全国から惚れ込んだ職人の逸品を集め、販売しているのが、その名も「日本百貨店」だ。

テーマは 「モノづくり」と「日本のスグレモノ」――。御徒町を皮切りに、吉祥寺や池袋など、首都圏を中心に7店舗を展開する。全国から伝統工芸品や農産品を集めたセレクトショップは数多く存在するが、それらと日本百貨店の違いは「人」にある。職人や農家などの「作り手」が日々店頭に立ち、消費者と直接会話し、商品を手渡す。

代表取締役の鈴木正晴氏は「国産の商品は品質がよく、長持ちするモノが多いのに、なぜか正当に評価されていないものもある。日本のモノづくりにきちんとお金を“廻す”ことで、モノづくりがずっと続いていける仕組みをつくりたかったんです」と、創業当時を振り返る。

鈴木 正晴(コンタン 代表取締役)

「日本のスグレモノ」を発信

31歳で未経験の小売店を開くという挑戦に至るまで、鈴木氏は大手商社で順風満帆な生活を送っていた。しかし、海外ブランドの権利を買い、そのブランドの商品を日本で売るという仕事の中で、いつしか「日本のスグレモノ」が蔑ろにされている状況に違和感を覚えるようになったという。

そうした思いに拍車を掛けたのが、東京に唯一残ったブリキの玩具工場、三幸製作所での経験だった。「社長が自慢のブリキ玩具を見せながら、俺の代で工場を辞めることにした、と言うのです。『かわいいんだから続けて』という僕の何気ないひと言で、突然、社長の目つきが変わり、『儲からないから続けれらないんだよ!』と怒られました。じゃあ、僕が適正価格で流通する仕組みを作るしかない、と決心しました」

勤続10年を目前に控えた2006年に退職し、株式会社コンタンを設立。当初はコンサルティングやブランディングを中心に手がけていたが、取引先からは「『鈴木さんは理論を語るだけでいいから、いいよね』なんて言われたこともあった」という。

本当の意味で職人や生産者と仲間になりたい――。そんな思いに突き動かされ、1号店となる「日本百貨店おかちまち」をオープンしたのは2010年12月のこと。ところが、3ヶ月後に東日本大震災が起こった。それでも食品目当てに訪れるお客さんを相手に、なんとか営業を続けていた鈴木氏は、GW初日に信じられない光景を目にすることになる。「開店前から行列ができていたのです。図らずも、震災によって日本製品を買って応援したいというお客さんが大勢来店してくれました」

鈴木氏が目指したのは「作り手と使い手の出会いの場」となる店。

訪れればいつも新しい地産品、そして人との出会いがある。

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