山間の片田舎を観光地に 「由布院」再興の源は愉しみを発見する力
日本中、世界中から観光客が訪れる由布院温泉郷。先進的な手法でその礎を築いた「亀の井別荘」の歴史と戦略を紐解けば、観光まちづくりのヒントが見えてくる。
由布院温泉は、盆地に広がる小さな温泉郷である。地域のかけがえのない財産は、豊かな自然と全国トップクラスの湧出量を誇る温泉。これに極上の癒しを求める観光客は年間約400万人にのぼり、リピーターも数多い。
しかし、由布院はほんの数十年前まで、田んぼだらけの片田舎にすぎなかった。それを洗練された滞在型保養地に改革したキーパーソンの一人が、亀の井別荘の中谷健太郎氏である。
亀の井別荘は、由布院御三家と称される名宿の一つで、緑に包まれた約3万㎡の敷地内に本館・洋間6室と離れ15室、カフェやバー、食事処やセレクトショップなどを備える。その歴史は長く、元来は文化人招待用の別荘で、犬養毅、北原白秋、与謝野晶子など名だたる著名人が逗留した。
中谷氏は、亀の井別荘の3代目として生まれながら「のれんを守るという感覚は全くなかった」と言い、東宝の撮影所で助監督を務めていた経歴を持つ。ところがある日、2代目の父が早逝し、帰郷を余儀なくされたのである。
過去の文献を徹底的に調査
時は1960年代、日本は池田内閣が策定した所得倍増計画の只中で好景気に沸き、山一つ隔てた別府の歓楽街は、連日観光ツアーバスで賑わっていた。ところが、山間にある由布院の別荘地は閑古鳥が鳴いていた。中谷氏は、亀の井別荘を再建しようと、過去の文献を徹底的に調べ上げたという。
「著名人から愛されたのには、何か理由があったはずなんです。すると『別荘型の滞在保養』というキーワードにたどり着きました」
さらに読みあさった文献の一つに、林学博士・本多静六の「由布院温泉発展策」があった。その中に、由布院はドイツの山間温泉保養地に学ぶべきという記述を発見。中谷氏は一念発起し、同業の溝口薫平氏(玉の湯)、志手康二氏(夢想園)とドイツ視察旅行へ出かけたのである。
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