蘇る松坂屋創業者の理想郷

池泉回遊式の庭園と、茶屋や橋といった近代建築--。松坂屋の創業者、伊藤次郎左衛門祐民の別邸「揚輝荘」が、市民の手によって再興され、街に開かれた場所として活用されている。

揚輝荘のランドマークとなる「聴松閣」。ハーフチンバーの外壁など山荘風の外観をした迎賓館で、1937年に建築された

地域の財産「揚輝荘」が育むコミュニティ

揚輝荘(ようきそう)は、松坂屋の初代社長であり清須越し以来の呉服商の15代目、伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)によって1万坪の森を切り拓いて築かれた別邸。1918年に建築され、約95年の歴史を持つ。

1930年代には広大な庭園の中に30数棟の移築・新築された各種建造物が立ち並び、池泉回遊式庭園の風景とともに、名古屋財界人の社交場として愛されるようになる。

建造物の設計を担ったのは、名古屋における近代建築の巨匠、鈴木禎次。夏目漱石の義弟にあたり、旧東海銀行や旧松坂屋など、数多くの建築を手がけた人物である。

その鈴木禎次に建築を依頼したのが祐民。建築当初は内輪の行事などに利用されていたが、その後に伊藤家の当主となり茶会や観月会などを催したことで、揚輝荘は財界人の社交場となっていった。

揚輝荘がたどった数奇な運命

1938年に祐民が永眠。さらに1941年に始まった第二次世界大戦の空襲により、いくつかの建物を焼失。戦後には米軍の司令官宿舎として、その後は松坂屋や常盤女学院の寮、タイなどからの留学生の寄宿舎としても使用された。

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