人気実況アナウンサーから高校野球部監督に転身
「野球実況の看板アナウンサーが高校の教壇に――」人気の野球実況アナウンサーの異例の転身は、多くのメディアで報じられた。当時44歳。培ったキャリアと安定した収入を捨てて夢を追うというニュースは、驚きと感動をもたらした。昨年からは野球部監督となり、夢を現実にした清水次郎。だが今、模索の日々を送っているという。
文・油井なおみ
「痛い思い込み力」で
大きな夢を次々と実現
思い起こせば、最初の「実況」は小学2年生の頃だった。
当時は、野球少年が壁を相手にキャッチボールする光景は珍しいものではなかった。ただ、実況しながら、となると話は別だ。
「マンションの駐車場の車輪止めに向かってボールを投げると、角度によって返球に変化が生まれるんです。フライやゴロ、ときには塀を超えてホームランになることも。『投げました、打ちました、ホームラン!』なんてひとりで言いながらやっていたんです。東京に住んでいましたが、父が大阪、母が兵庫出身で。父や母方の祖父の影響もあって、僕の実況では必ず阪神が勝つようになっているんです。痛い少年でした(笑)」
地元の野球チームに所属し、のびのびと育った清水は、当時の野球少年の例にもれずプロ野球選手を夢見ていた。
「1980年、僕が9歳の頃、甲子園では荒木大輔さんが大活躍していて。自分も同じ高校で野球をしようと決めました。早稲田実業の偏差値や倍率なんて当然知りません。俺はそこに行くものだと、ただ思い込んで入学しました」
憧れの高校で野球に取り組むが、3年間ベンチ入りは叶わず。大学に入学後は、野球から離れ、「オールラウンド系のゆるいサークル」で楽しく日々を過ごした。
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