和紙の技術を生かしEV対応へ セキネシール工業が機能紙メーカーに転身

(※本記事は経済産業省が運営するウェブメディア「METI Journal オンライン」に2026年1月15日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

セキネシール工業 関根俊直さん

部品と部品のつなぎ目にはさんで気体や液体の漏れを防ぐのが、シール部品。水道の蛇口の水漏れなどの際に交換する「パッキン」は、このシール部品のうち動く部分に使われるものだ。配管の継ぎ目など動かない部分に使われるものは「ガスケット」と呼ばれる。

江戸時代末期から伝統的な「紙すき」を行ってきたセキネシール工業(埼玉県小川町)は、戦後、紙すきの技術を応用して主に自動車用のガスケット材を生産するようになった。この150年以上もの歴史を持つ企業のトップ・関根俊直さんは、37歳。39歳以下の後継者が家業をいかした新規事業のアイデアを競い合う、中小企業庁主催の「第4回アトツギ甲子園」(2023年)に出場し、200人以上の応募者の中から15人が選ばれるファイナリストに選出されて、注目を集めた。

紙すき技術を応用 国内トップシェアの製品も

―――セキネシール工業はどんな会社ですか?

私が生まれ育った埼玉県小川町は、1300年以上の歴史がある和紙の生産地です。私の家は農家でしたが、江戸時代末期の1870年ごろから、農閑期の冬季に、伝統的な手法の紙すきで和紙作りを手がけるようになりました。江戸の商人が使う帳簿の「大福帳」などに使われ、小川町の和紙作りはとても盛んになったようです。だけどかつて1000軒以上あった、和紙作りの家は今では数軒になっています。

戦後の1948年に私の祖父が、「和紙だけでは将来性がない」として、紙すきの技術を応用して自動車用のガスケットの製造を手がけるようになりました。エンジンなどでオイルやガソリンなどが漏れないように挟み込むシート状のものです。今では、熱に強いもの、耐油性があるもの、破れにくいものなどさまざまな種類のシートを製造し、自動車ばかりでなく、農業機械、建設機械、船舶などさまざまな機械のエンジンなどで使われています。この製法でガスケット材を作っている企業は国内では3社ほどしかなく、オイルシート、ビーターシートという製品では国内シェアNo.1になっています。

紙すきの技術を応用した大型機械でシートを製造する
紙すきの技術を応用した大型機械でシートを製造する

「このままでは継げない」 父に泣いて訴えたことも

―――どのような経緯で社長を継ぐことになったのでしょうか?

私は3男1女の三男坊です。同級生の祖母が私の祖父と友人関係にあって、祖父が「こいつが跡を継ぐ」と言っていたということを間接的に聞いたこともありました。そういったこともあって、何となく頭の片隅で、将来は家業を継ぐことになるのかなあ、と漠然と思っていました。

具体的には、大学2年生のときに祖父が亡くなり、その葬式の次の日に、父から家業を継いでもらいたい、と言われました。祖父の葬式には参列者が1000人くらいもいて、皆さんから、祖父が他人のために生きたすばらしい人だった、という話を聞きました。私も、死んだときにそう言われるようになりたい、と思いましたね。当時の私はやりたいことがあったわけではありませんでしたし、会社も競合が少ない業界で安定した経営をしていたので、跡を継ぐことに特にためらいはありませんでした。

大学卒業後、自動車部品製造大手のアイシン精機(現・アイシン)に入社しました。家業とかかわりのある会社ですね。愛知県で工場勤務をしていたのですが、私は自動車が好きというわけではなく、周りの人と話がかみ合いませんでした。毎日がつらいだけで、「このままでは家業を継ぐことなんてできない」と泣きながら父に訴えたことを覚えています。

そこでいったん継ぐことをリセットして、転職サイト運営会社のビズリーチに転職しました。さまざまな業界や職種を知ることができ、成長の勢いがあったということで、まだ歴史の新しいこの会社に飛び込みました。そこで採用コンサルタントなどを務め、いろんな経営者と話をすることができたのは、大きな収穫でした。

関根さんが影響を受けた本はこちら

「工場で出る産廃の処理コストに年間700万円かかっています。このゴミを加工してゴミ箱を製造し、売り出そうと考えています」と語る関根社長
「工場で出る産廃の処理コストに年間700万円かかっています。このゴミを加工してゴミ箱を製造し、売り出そうと考えています」と語る関根社長

ビズリーチに転職してまもまく、母が病気になりました。そこで改めて家業を継ぐ意識が生まれてきました。経営後継者育成のための学校に行ったり、実際に家業を継いだ方に会いに行って話を聞いたりしていたのですが、私に本当に社長が務まるのかどうか、怖いという気持ちもありました。どうしたらよいのかウジウジしていたときに妻が「あなた社長の息子でしょう。だったら社長になりなさい」とズバっと言ってくれたことが、決断を後押ししてくれました。そこで当時の勤務地と実家の中間点に家を買うことになり、ビズリーチに務めながら、家業の手伝いを始めました。そして2020年に正式に入社。そのときは4年後に社長を引き継ぐ約束を父としていました。入社した瞬間から経営者として責任を持つことになったわけです。

技術vs営業で険悪 対話を積み重ね一つに

―――入社時の会社はどのような状態でしたか?古参社員との意思疎通など、最初からスムーズにできたのでしょうか?

私が跡を継ぐことには大きな反対はありませんでしたが、私が打ち出す経営方針では初めからぶつかり続けましたね。入社してすぐコロナ禍になり、私は在宅ワークができるようにしようとしましたが、「そんなことできる訳ない」と反対の声しかなかった。私は意地でもやろうと思って、それまでファクスや紙など当たり前の文化を改めて、社員全員にノートパソコンを持たせて、デジタル化を進めました。

会社内では、技術部門と営業部門が対立する図式になっていました。営業は「良いもの作らないから売れない」と言い、技術は「良いもの作っても営業がだめだから売れない」と陰で言う。そんなに対立するのなら、組織を別々でなく、一つにしようと考えました。

社員とはひたすら対話しました。その人の生い立ちとかどんな家族がいるかとか、徹底的にメモして一人ひとりの人物像を把握しました。わずか50人なのに違う部門同士では話もしない、雰囲気の悪い会社でしたが、業務時間内に会社から出た場所でミーティングするなどして、お互いを知り合う機会を作って対話できる関係を作っていきました。その結果、対立した人の中には今までと大きく役割が変わった人もいるのですが、一人も辞めることなく、今では前向きに会社に貢献してくれています。

「3人の子供たちには、私が楽しんで仕事をしている姿を見せ、『継ぎたい』と思ってもらえる会社にしたい」という
「3人の子供たちには、私が楽しんで仕事をしている姿を見せ、『継ぎたい』と思ってもらえる会社にしたい」という

コロナ禍で低迷 開発研究を強化し新しいことを

―――会社は競合他社が少なく安定していたとおっしゃいましたが、入社後、経営面では最初から順調だったのでしょうか?

いえ、大変でしたね。それというのも入社後すぐにコロナ禍になり、自動車が売れなくなりました。そうすると、関連企業である私たちにもしわ寄せが来る。売り上げは1割落ち、さらに2割落ちるという状況になりました。

そこで、新しいことに取り組まなくてはいけない、と開発も部門を強化しました。開発に強い人を外から招聘して顧問にし、若い優秀な人材もリクルートしました。現在、従業員わずか50人の小さな会社ですが、開発研究する社員が5人います。

そこで新しく打ち出したのが、EV(電気自動車)用の燃えない紙素材です。これはアトツギ甲子園でも新しい試みとして発表しました。電気自動車の普及にともなって私どもが手がけるガソリンエンジン用のガスケットの需要は落ちてきます。その一方で、EVには、バッテリーの発火事故などの問題もあります。そこで、一部が発火しても他に燃え移らないように、バッテリーの間に挟み込む燃えない紙を開発しています。セキネシール工業は、戦後ずっと「ガスケットの会社」として業界では知られていましたが、それを「機能紙メーカー」に変えていくのが、私の考えです。

ただ、私どものような小さな素材メーカーでは、独自技術の研究はできても、大手のようなユーザーとの接点はなく、マーケティングの機能もありません。また、素材業界では事業化するまでには10年掛かると言われています。そのためにさまざまな業界の展示会などに積極的に参加するなどしてユーザーとの接点を少しでも広げていきたいと考えています。

会社のトレードマークの「SiSCO」は、セキネシール工業の英語の頭文字、また「誠実(Sinserity)」「融和(Synthesis)」「勇気(Courage)」「創造(Originality)」を略したものです。誠実→融和→勇気→創造→誠実… と、誠実を起点に「SiSCO CYCLE」を回していこうというのが企業理念です。これはマサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が提唱した、組織の成功循環モデルを参考にして掲げました。

アトツギ甲子園参加 各地に心強い仲間ができた

―――アトツギ甲子園に参加したことで影響を受けたことはありますか?

一番大きいのは、全国にいる同じように家業を継いでいる若い後継ぎの人たちと友人になり、ネットワークが広がったことですね。今でも月に1回、関西や九州など各地の後継ぎたち4人の仲間で、オンラインでミーティングをしています。地域も業種も違っていますが、それぞれに後継ぎとしての悩みや問題があり、相談したりアドバイスをもらったり。心強い仲間たちです。

第4回「アトツギ甲子園」決勝大会でプレゼンする関根さん

―――本社、工場がある埼玉県小川町は高齢化が進み、消滅可能性がある自治体の一つともされています。地域の活性化についてはどのように考えていますか?

これは大きな問題の一つですね。「武蔵の小京都」とも呼ばれ、伝統工芸の和紙で知られていますが、近年はあまり元気がありません。当社も地域を少しでも盛り上げようと、祭りに参加したり、工場のすぐそばを流れる荒川水系の槻川の清掃をしたりしています。山と自然に囲まれた町ですが、正直言って川はそれほどきれいとは言えません。子供たちの未来のためにも、美しい川を取り戻したいと思っています。そして、小川町の後継ぎ経営者たちで集まり、町を活性化するために何ができるのか話し合っています。私も地域の企業の一つとして、伝統を受け継ぎつつ新たな事業を展開し、ひいては町の活性化に貢献していきたいと考えています。

関根さんが影響を受けた本はこちら

【プロフィール】
関根 俊直(せきね・としなお)
1988年7月、埼玉県比企郡小川町生まれ。2011年に中央大学商学部を卒業後、アイシン精機(現在のアイシン)に入社。2016年1月にビズリーチに転職し、営業や社内人事の仕事に携わる。2020年1月、セキネシール工業に入社し、営業、人事、社内のDX推進を担当し、2024年1月より現職。

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