学習社会という構想──教育機関から学習する社会へ

学習するのは個人だけなのか

前回は、生涯教育という発想について考えた。生涯教育は、教育を人生の初期段階に閉じ込めず、人間の一生全体へとひらく思想であった。では、その学びはどこで行われるのか。

この問いから浮かび上がるのが、「学習社会」という構想である。学習社会とは、教育を特定の機関や制度の中だけで完結させるのではなく、社会のあらゆる場面に学びの契機を見いだそうとする考え方である。学校、家庭、職場、地域、文化施設、メディア、さらには日常生活の経験そのものが、学習の場となる。つまり、学習社会とは、教育を「どこかで受けるもの」から、「社会の中で生成されるもの」へと捉え直す構想である。

教育機関から学習する社会へ

近代の教育制度は学校を中心に組み立てられてきた。学校は、知識や技能を体系的に伝達し、社会に出るための準備を行う重要な制度である。しかし、社会が複雑化し、変化の速度が高まる中、仕事の内容、地域課題、生活に必要な知識や技術が刻々と変化する。人は常に、新たな状況に応じて学び直さなければならない。

その意味で、学びは学校から社会へと広がっていく。職場での経験、地域活動での対話、家庭での役割、趣味や文化活動の中での発見もまた重要な学習の契機となる。

学習社会の構想は、このような学びの広がりを積極的に評価する。教育機関が学びを独占するのではなく、社会全体が学習を支える環境になる。そこでは、誰もが必要に応じて学び、経験を意味づけ直し、社会参加の回路を更新していくことが期待される。

社会教育が担う媒介の役割

この構想を現実のものにするうえで、学校教育の外側に広がる学びを公共的な学習機会として編成してきた社会教育は、重要な役割を担っている。公民館や図書館、博物館、地域学習センターなどは、単なる施設ではない。そこでは、地域の課題が学習課題へと転換され、住民の経験が共有され、世代や立場を超えた対話が生まれる。社会教育は、生活の中にある学びを見いだし、それを他者と共有可能な学習へとつなぎ直す媒介装置である。

防災をめぐる住民の経験が地域防災学習へ、子育ての悩みが保護者同士の学び合いへとつながるように、仕事や生活、地域活動の経験が、リカレント教育や地域づくりの学びへと転換される。社会教育は、社会の中に散在する経験を学びへと変える働きをしているのだ。

学習社会の理想とその緊張

しかし、学習社会という構想にも注意すべき点がある。社会全体が学びの場になることは、一見すれば望ましい。だが同時に、それは「どこにいても学ばなければならない」という圧力に変わる可能性をはらんでいる。家事、子育て、健康管理、趣味等にに関して、絶えず新しい知識やスキルの習得が求められるのだ。

すなわち、学習社会は学びの自由を広げる一方で、学びを個人の責任として背負わせ、学び続けなければ十分に社会参加できないという不安を生み出す社会にもなりうる。この重要な緊張関係への認識に立ち、学習社会をただ理想として語るのではなく、その中で誰が学べて、誰が学びから遠ざけられているのかを問わなければならない。

社会全体で学びを支えるということ

学習社会を本当に豊かなものにするために必要なのは、学びたい人が学べるだけでなく、学びから遠ざけられがちな人にも届く仕組みである。時間、費用、情報、地域環境、職場や家庭の理解といった条件を周到に準備する必要があるのだ。その意味で、社会教育は、人々が学び続けられる条件を社会全体で支える、学習社会の公共的基盤といえる。

次回は、こうした学習社会の中で、成人はどのように学ぶのかを考えたい。成人の学びは、子どもの学びと何が異なるのか。経験、自己決定、生活課題という視点から、成人学習論へと進んでいく。