生涯学習には理論が必要なのか―学びを社会との関係から捉える

生涯教育は何を問い直したのか

生涯学習の理論を考えるうえで出発点となるのが「生涯教育」という発想である。教育を学校に閉じ込めず、人間の一生全体に関わる営みとして捉え直そうとする考え方だ。人は子どもの時期だけでなく、青年期にも、成人期にも、高齢期にも、それぞれの生活や課題に応じて学び続ける存在である。この当たり前のように見える考え方は、実は近代の教育制度に対する大きな問い直しであった。

近代学校制度は、人生の初期段階に教育を集中させる仕組みとして発展してきた。子どもや若者が一定期間学校に通い、基礎的な知識や技能を身につけ、その後は社会に出て働く。このような人生モデルのもとでは、教育は「社会に出る前の準備」として位置づけられた。しかし、社会の大きく変化する時代に、このモデルは十分ではない。

生涯教育はこの限界に対する応答として登場した。学びは学校を卒業した後も繰り返し生じるとして、教育の時間軸を拡張したのだ。

教育の分断をつなぎ直す

生涯教育は、教育の分断をつなぎ直す試みでもある。第一に、青年教育と成人教育の分断。従来の教育制度では成人の学びは周辺的なものとされがちであった。しかし、成人も、仕事や家庭、地域生活の中で新たな課題に直面し続ける。だが成人にとっての学びは義務ではなく、必要や関心から始まるため、成人の学びを支える仕組みが必要となる。

第二に、一般教育と職業教育の分断。「教養」と「職業能力」はしばしば別々のものとして扱われてきたが、働くことは社会と関わることであり、職業能力は自己実現とも深く結びついている。教養もまた、現実の生活や仕事と無関係なものではない。生涯教育はこの二つ再統合しようとした。

第三に、教育は一定期間で終わるという固定観念の問い直しである。人生の途中で立ち止まり、学び直し、経験を意味づけ直すことは、誰にとっても必要になりうる。生涯教育は、「生きていく過程そのものを支える営み」として位置づけたのである。

社会教育との深い接点

この発想は、社会教育と深く関わっている。学校を離れた後の学びを支える具体的な場の多くは、社会教育によって担われてきたからである。公民館、図書館、博物館、地域学習センター、学習サークル、公開講座などは、いずれも人々が人生のさまざまな局面で学び直すための場である。

社会教育は学校教育よりも柔軟であり、学習者の生活課題に近いところから始めることができる。子育てに悩む保護者の学び、定年後の地域参加の学び、外国ルーツ住民との共生に向けた学びなど、対象は幅広い。

すなわち、生涯教育は理念であり、社会教育はその理念を現実の生活世界に接続する実践の場ということができる。人が「生涯を通じて学ぶ存在である」ならば、「その学びをどのように支えるのか」を問うのが社会教育だ。

理想としての強さと現実へのまなざし

すべての人が生涯にわたって自由に学べるという考え方は美しい。しかし、実際には、誰もが同じように学べるわけではない。時間的余裕、経済的余裕、情報へのアクセス、周囲の理解などによって、学べる条件は大きく異なる。

「学びたい人が学べばよい」というだけでは、学びにアクセスしにくい人々を見落としてしまうし、「人は生涯学び続けるべきだ」という理念は場合によっては、学び続けることを個人に求める圧力にもなりうる。

生涯教育は、その理念がどのような社会条件のもとで可能になるのかを、あわせて問わなければならない。学ぶことができるのは誰で、誰が遠ざけられているのか。学びは自由なのか、それとも義務になっているのか。

こうした問題意識に立つとき、次に考えるべきは、教育機関だけでなく社会全体が学びを支えるという「学習社会」の構想である。社会そのものが学習の場になるとは、いったいどういうことなのかを見ていきたい。