新カルチャー創造へ決断と行動を繰り返し、トップの道を切り拓く

日本最大級のeスポーツカンパニーとして、プロeスポーツチーム運営事業はもとより、大会運営事業、アパレル事業のほか、音楽事業なども手掛けるFENNEL。現在会長として会社はもちろん、日本eスポーツの発展に力を注ぐのが遠藤将也だ。異業種からの参戦、しかも「ゲーマー」でさえなかったという遠藤の軌跡に迫る。

文・油井なおみ

 

遠藤 将也(プロeスポーツチーム運営会社『FENNEL』代表取締役会長)

父母は市役所勤務の公務員、祖父は郵便局員と「堅い家系で育った」という遠藤将也。小学生から野球を始め、プロ野球選手になることを夢見て、高校時代は強豪校で野球に明け暮れた。

「高校の同期が2人プロ入りして、そこで彼らとは圧倒的に能力差があると実感しました」

付属の大学にそのまま進学し、将来について考えた。

「1年時は真面目に単位を取ったんですが、当時話題となっていたロバート・キヨサキさんの『金持ち父さん貧乏父さん』という本を読んで、自分はサラリーマンではなく、独立して事業をやりたいと思うようになりました」

思い立つや大学を辞め、会社を興そうと考えたが、何をどうすればいいのかまでは定まっていない。

「いろんなセミナーに通う中で、ある社長さんに『まずはトップセールスマンになれ』と言われたんです。そのときは知識がなくて、大きいマーケットといえば不動産かなと思い、20歳で不動産会社に入社しました」

そこで着実にステップアップした。

「ラッキーだったんです。会社自体、僕が入社した頃の売り上げは20~30億円くらいでしたが、在籍した10年間で約600億円にまで成長し、そこに関わることができたんです。その中でマーケティング・営業の統括部長をやらせてもらい、役員にというお話もいただきました」

しかし、当初から30歳で独立すると決めていた遠藤は、初志貫徹し退職。不動産会社を立ち上げた。

「経験を生かせる仕事なので、順調に軌道に乗せることができました。ただ僕自身、社会人になってすぐリーマンショックに、震災も経験して、不動産業界の浮き沈みの激しさを怖いと感じていたので、不動産業で会社を大きくすることは考えていなかったんです。何か他に新しいことをできないかと模索していました」

その頃、友人から誘われ、プライベートの趣味として夢中になっていたのがオンラインゲーム。

「ゲームは子供の頃、友達の家で一緒にやる程度。20歳から30歳のサラリーマン時代はゲームをやる機会はほとんどありませんでした。その10年でゲームは対コンピュータからオンラインに大きく変わっていて、すごく面白いと感じたんです」

eスポーツについて調べると、まだ参入企業も少ない成長産業。日本ではすでに成熟マーケットである不動産業で生きてきた遠藤にとって、ビジネスとしても魅力的だったという。

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