2020年12月号
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変革への挑戦

技術力と提案力で、「物語と愛着を育むスーツ」を届ける

吉田 直人(御幸毛織 取締役社長)

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古くから毛織の産地だった尾州。明治に軍隊等の制服が洋装化し、戦後に紳士・婦人服の既製品化が進んで毛織生地の需要が伸びると、生地工場はしのぎを削って技術を磨いた。その代表格の御幸毛織は2000年以降、東洋紡グループ他社との合併やリブランディングに取り組み、事業転換に挑んでいる。

吉田 直人(御幸毛織 取締役社長)

学生服から高級スーツまで
憧れの服地「ミユキ」

御幸毛織の歴史は、1905年に祖父江利一郎氏が織布工場と染工場を建設したことから始まる。繊維産業が輸出産業として飛躍する波に乗って成長し、1918年に株式会社となり、42年には東洋紡績が資本参加するに至った。そして53年には高級毛織物「ミユキテックス」の販売が始まり、オーダーメイドの紳士スーツ向けの原材料メーカーとして知られるようになった。また、企業の制服や学生服などの生地も供給し、57年春から63年まで「ミユキ野球教室」というテレビ番組を一社提供することで、その名を全国に広めた。

「野球教室をご存じの世代、紳士服地としての『ミユキ』ブランドに憧れを抱いてくださる皆さんがお元気なうちに、新しい時代に合うブランドを再構築せねばと考えています。残念ながら、アパレル市場の縮小は確実ですし、ことにスーツの存在感は年々希薄になっています」と厳しい口調で語るのは、同社取締役社長の吉田直人氏だ。

吉田氏は親会社の東洋紡で繊維事業総括部長などを歴任し、2017年に御幸毛織のトップとなった。

スーツ離れとコロナ禍に
ソフト面の充実で対抗を

1970年代終わりには斜陽産業と言われ始めていた繊維業界にあって、スーツ向けの高級毛織物は好調を保っていた。ところが、80年代に円安が進行し欧米ブランドに割安感が出ると風向きが変わる。その後、バブル崩壊やリーマンショックによる景気低迷で高級衣料の売上は鈍化し、さらにクールビズの浸透やオフィスカジュアルの導入によりスーツ離れが進んだ。かくして近年の紳士オーダースーツ市場のニーズは、「労働者の制服」と捉えて義務的に着る層と、社会的ステイタスや所得、あるいは趣向に合わせて選ぶ層とに2分された。

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