PR3.0という魔力 新しい広報・コミュニケーションデザイン

最近の広報界でインパクトのある言葉として、「PR3.0」が挙げられる。 PR3.0とは、そもそも何を意味するのか、その本質は何か。 組織(企業)と社会の関係性から検討する。

PR3.0というと、なんだか新しい気がするのは私だけだろうか。PR3.0と言ってしまいたい魔力がある。それはなぜだろう。 振り返ってみると、これまでWeb2.0とかindustry4.0、Society5.0とか「なんとか2.0」という単語を目にする機会が多くなった気がする。

「なんとか2.0 」のはしりは、Web2.0なんだと思う。Web2.0は、2005年にティム・オライリーによって提唱された言葉である。これまでのWebの使われ方が送り手から受け手への一方的な流れであったものが、ブログなどの発達により送り手と受け手そのものが流動化したことを指してつけたものである。

最初にWeb1.0の発見があったわけではなく、Web2.0の新しさや違いを説明するためにWeb1.0を持ち出すことに面白さと危うさが潜んでいる。最初に提唱したものをWeb1.0と言っても良いはずなのに、Web2.0と言ってしまう。おそらく、Web2.0の段階になって初めてWeb1.0が見えてくる。起こった出来事は後からしか観察できないのだから。ただここで注目したいのは、Web2.0では現在進行形の真新しさを感じさせたのに対して、それに対比されるWeb1.0はどうも古い印象を受けた点である。数字を重ねれば、新しく見えてしまう。そんな危うさが潜んでいる。

PR3.0は、どのような魅せ方ができるだろうか。いまがPR2.0ならばPR3.0と言うことでこれからのPRの未来を語り視線を前に向けさせる力がある。PR3.0へ変えていこうとする原動力になる。しかし、ただ単純に未来を語ることや単に最新へアップデートすることが目的化してはいけない。アップデートすることにどんな意味があるのか。現状のどこに問題点や不足点があるのかを明らかにすることにこそ意義があるのではないか。PR3.0という言葉が悪いわけではない。私が伝えたいのは、PR3.0と言ってしまうことで隠されてしまう何かがあるのではないかということなのだ。PR3.0と語ることでPRとは何かを再検討する契機になれば良いと思う。

社会情報大学院大学では、セミナー「PR3.0 共感を得る新しい広報・コミュニケーションデザイン」を1月26日、30日に開催。セミナー後には、PRにイノベーションを起こし、進化させたい意欲的なPR事業者や広報担当者と筆者による活発な意見交換が行われた。

そもそもPRとはなんだろうか

そもそもPRとはなんだろうか。辞書的な定義はたくさん書かれているので、ここではシンプルに定義していこう。PRとはPublic Relationの略なので、組織(あるいは企業)とそのとりまく環境との関係を築くことである。PR活動をすることは、まず対象を研究しないといけない。経営学者でおなじみのドラッカーも「企業は社会の機関」であると言ってるように、組織と社会の良い関係を構築することになるわけだが、ここで一つ疑問がある。そもそも組織をとりまく環境=社会とは一体なんだろうか。社会とは何か答えられないのに、関係の構築も何もないではないか(「社会」とは何かが答えられれば、それだけで本当はすごいことなのだが)。

「社会」という言葉は知っているけれども、具体的に説明するのはなかなか難しい。社会を指さすこともできない。信じている信じていないに関わらず、社会という概念は頭で理解している。だから、社会は〈神〉に似ている。〈神〉という言葉は知っているけども、指さすことはできないし、うまく説明することもできない。でも、PRで企業と社会の関係性を考えるのであれば、それぞれの社会観を持ったり、自分が関係を持ちたい社会とは何かを考える必要があると思う。

そうなると「社会」は漠然としすぎるので、ステークホルダーと関係を築くという声が聞こえてきそうだ。もちろん、その通りだと思う。では、ステークホルダーとどのように関係を築くのか。良好な関係を築き、共感を得るために何が必要なのか。

ステークホルダーという一種の集団は、それぞれ集団の価値観を持っている。そのステークホルダーの価値観を知るためには、ステークホルダーが持っている意味や文化、価値観を分析する必要があるだろう。その価値観に沿った形でメッセージを発していかなければ、共感を得ることができないだろう。そのためにコミュニケーション活動があるのだろう。しかし、コミュニケーションの受け手によって受け取り方が異なる。そこが難しい。

コミュニケーションに
もっと可能性を

では、コミュニケーション活動の目的とは何か。それはコミュニケーションを通じてコミュニケーションの相手と意味付けを共有し、協調的な行動をとることである。つまり、コミュニケーションによって、行動の意向をつくり出すことができるのである。それが積み重なって社会ができてくるのである。つまり、PR活動は社会をつくっていることに他ならないのである。

こうして考えてみると、PR活動を考える近道は、コミュニケーションそのものではなく、まわりにある社会やステークホルダーがどのような価値観や文化を持っているのかを考えることなのかもしれない。PR3.0は、PRを再構成するための契機なのである。