世界でも類のない「レース場複合型レジャー施設」へ

F1、八耐など日本屈指のレース施設として名高い、鈴鹿サーキット。今年で創業52年。高度成長期、オイルショック、バブル期、リーマンショックを経ていま、さら進化し続ける。

鈴鹿サーキットの全景。世界でも稀な立体交差を持つ全長(何度か改修され、現在は)約5.8kmのテクニカルなレイアウトが特長

小林可夢偉、佐藤琢磨、中嶋悟、ナイジェル・マンセル、そしてアイルトン・セナ。F1の勇者たちが華麗な走りを見せてきた、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)。そうした晴れやかな舞台裏は、半世紀に及ぶ「事業変革への対応」によって支えられてきた。

鈴鹿サーキットが誕生したのは高度成長期の初期、1962年9月だ。ホンダの創業者・本田宗一郎氏は「日本のバイクと自動車の技術が世界レベルに向上するには、日本国内に欧米を追い越すような本格的レーシングコースが必要」が、持論だった。同氏は戦前から、自ら欧米製のレーシングモデルで自動車レースに参加していた。戦後の50年代になると、オートバイブームが到来し、50年代後半、群馬県浅間山高原で一般路や自動車試験場を使った全日本選手権が開催された。それをきっかけに、日本全国でサーキット建設構想が立ち上がる。そのなかで最も早く開業したのが、鈴鹿サーキットだ。62年11月には二輪車の「第一回全日本ロードレース」を開催し27万人を集客。63年には、日本での初めての本格的四輪レースとなった「日本グランプリ自動車レース」が行われた。だが、65年の日本グランプリ自動車レースは諸事情で中止。翌66年には、三菱地所が静岡県御殿場市郊外に「富士スピードウエイ」を開業。日本の自動車レースの中心は明らかに、鈴鹿から富士に移った。そこで鈴鹿サーキットは、レース以外の事業を拡大していく。

新企画を打ち出し総合レジャー施設化

2012年F1グランプリのスタート風景。金、土、日の3日間で20万8000人が足を運んだ

まずは、遊園地の「モートピア」だ。ホンダは自動車遊園地事業の「テック」を全国に展開。

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