多様な学生や教員と「学び合う」 コミュニケーション担当者の学び直し

コミュニケーション担当者が学び直し、多様な学生や教員とディスカッションを重ねることは、どのような効果をもたらすのか。広報のプロフェッショナルを育成する社会構想大学院大学 コミュニケーションデザイン研究科での事例を紹介する。

ディスカッションの2つの効果

前号では、組織のコミュニケーション担当者が大学院での「リカレント教育」(社会人の学び直し)に取り組む意義について、「実務への波及効果」の観点から解説した。国内唯一の専門職大学院「社会構想大学院大学 コミュニケーションデザイン研究科」の社会人学生は、日々「コミュニケーションの本質」に肉薄するための知の探究を続けている。

なかでも社会人大学院の教育において核となるディスカッションやワークショップ形式の授業は、直接的に実務の改善に貢献するのみならず、一人ひとりの考え方や時に生き方へも影響を及ぼす。

今回は、2年間の学びのなかで「継続的に他の学生や教員とディスカッションを行う」ことがどのような意味を持つか、事例と共に紹介したい。

大学院で多様なバックグラウンドそして価値観を持つ他者と出会い、対話を続けることは、①日々の業務のなかで凝り固まった価値観を解きほぐすことと、②現在のコミュニケーション担当者に求められる「ネガティブ・ケイパビリティ」を醸成することの2つの効果をもたらす。またこれらの効果は相互に関係し、身につけるほどにそれぞれの力をより高める基盤としても機能する。

図 継続的なディスカッションが及ぼす2つの効果

固定化された価値観からの脱却

コミュニケーション実務のなかでも、とりわけ「広報」や「マーケティング」といった概念は、組織によってまったく異なる意味を有する場合がある。他方、「うちの業界(会社)は特殊だから」という言葉を免罪符に、根拠なく独自路線をひた走る組織もしばしば見られる。

たしかに、業界や環境によってステークホルダーの属性や情報発信に活用できるツールに違いはあるかもしれない。しかし、たとえば美容業界で働くある修了生は、他業界に所属する院生との継続的なディスカッションのなかで、「これまで関係がないと思っていた業界も本質的に共通の悩みを抱いている」ことに気づいた。このように他業種におけるコミュニケーションの視点や歴史的展開が自組織の突破口となることは決して珍しいことではないのだ。

さらに重要なのは、「特殊性」神話を克服し、「他者から学ぶ姿勢」を身につけるには、他者との対話を重ねる以外に方法がないということ。この姿勢は、独学や知識のインプットだけでは習得できない。

ある公共セクターに勤務する修了生は、本研究科に入学して得られた最大の収穫のひとつを「他業種の現場で活躍されている方々と交流できたこと」と表現する。その修了生が抱いている「内部だけでシステムができ上がってしまっていると、よそへ行く必要がなくなってしまうんです。ところが、そこから抜け出さないでいると、次の時代には通用しなくなるのは明白です」という問題意識に同意する方は多いのではないだろうか。固定化した価値観やシステムから脱却し、将来を見据えた活動へとシフトしていくためには、他者との出会いや学び合いが肝要なのだ。

ネガティブ・ケイパビリティとは

昨今、関心を寄せられている概念に「ネガティブ・ケイパビリティ」がある。1800年代に英国の詩人ジョン・キーツが生み出し、150年ほど後に精神科医のウィルフレッド・ビオンが再発見したこの概念は、「不確実な状況に耐える能力」とも説明される。そこには「性急に答えを求めない寛容性」や「表層的な理解を拒否する思考力」、あるいは「他者への敬意」といった態度が含まれる。

ネガティブ・ケイパビリティが欠如した社会では、不寛容な政治家やインフルエンサー、陰謀論や世代論など、世界を単純化しようとする言説が溢れることになるだろう。情報社会や新型コロナウイルスの「不確実性」に振り回され、疲弊した現代社会には、こうした考え方を受け入れる素地が整っているのではないだろうか。

もちろんネガティブ・ケイパビリティはすべての人に求められる能力だが、業務のなかで日常的に莫大な情報の取捨選択を強いられるコミュニケーション担当者にとっては必須の能力といえる。

人間関係を「会社の外に」持つ

では、こうした能力や姿勢はどうすれば身につけられるのだろうか。このことについて筆者は暫定的に、社会人大学院での「答えのない問い」をめぐるディスカッションがその一助になると考えている。

筆者が担当している授業「情報・文化・コミュニケーション」では、AI技術や現代アート、リスク・コミュニケーションといった分野において、たとえば「情報技術で死者を擬似蘇生することについてどう思うか」など、「知識としては知っているものの、日常生活のなかで他者と話したことはない」テーマについて議論を行う。ここで重要なのは、社会人学生はこれまでの生活のなかで「こういうテーマについて他者はこう考えるだろう」という仮説を無意識に構築している可能性が高いことだ。

あるマスメディア企業に所属する修了生は「日々のディスカッションは人の考えの多様性を改めて感じるきっかけにもなります。会社の外にこうした人間関係を持つことの良さをすごく感じます」と述懐する。授業のなかで学生は、人の価値観がいかに多様で、世の中をシンプルに理解することがいかに不可能か、実感をもって学ぶことになる。「カルチャーショック」といってもよいかもしれない。筆者が知る限り、こうした機会を日常的かつ長期的に得ることができるのは、「学び直し」の場を除いて他に存在しない。

とはいえ、「議論に参加する」というのはややハードルが高く感じられるかもしれない。これについては修了生の声をご紹介するのがよいだろう。「『ここで何かを得たい』と思っている者同士だからこそ『ゼミ後に勉強会をしませんか?』『論文を読みませんか?』といった学生同士の雰囲気が生まれたのだと思います。私も『斜に構えずにどんどん入っていこう』と自然に思えたのは、予想外の副産物でした」。

次号では、2年間の大学院生活がコミュニケーション担当者にとって「止まり木」のような役割を担っていることについて解説する。

 

橋本 純次(はしもと・じゅんじ)
社会構想大学院大学 コミュニケーションデザイン研究科 専任講師

 

社会構想大学院大学 コミュニケーションデザイン研究科
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