「脱炭素×半導体」の成長戦略 時代の変化に経営の進化で応じる

溶接鋼管の老舗・丸一鋼管が大胆な変革に乗り出す。成長事業を半導体・脱炭素関連と定め、祖業の社会インフラ関連事業との二軸で成長を目指す。積極的なグローバル展開と業界の常識を覆す戦略でトップシェアを守ってきた同社の強さについて、鈴木博之会長に聞いた。

鈴木 博之(丸一鋼管株式会社 代表取締役会長兼CEO)

戦後の復興需要に応え
需要地生産体制で全国展開

溶接鋼管メーカーとして国内トップシェアを誇る丸一鋼管。創業70年以上を誇り、2022年度には連結決算で過去最高の売上を記録するなど業績も好調だ。

1926年に自転車部品製造の丸一製作所として大阪で創業。戦後の復興需要に応えるべく、自動車および建築用鋼管を中心とした技術開発と事業拡大を進め、1947年に株式会社となった。1965年に、当時の資本金の10倍をかけた堺工場が竣工。これと前後して、市場拡大が見込める東京、名古屋にも工場を建設。販売機能を本社に集中させる一方、子会社を設けて製造を北海道、九州、四国に分散させたのは、運搬コストを抑えると同時に地域の雇用創出にも貢献したいという考えからであった。

「『地産地消』ともいえる方法が丸一鋼管の強みになりました。船から原材料を直接引き込めるように、工場は海のある立地に建てました。鉄パイプは重量があってかさばるので、距離があると運賃も納入時間もかかってしまいます。この立地は長期的にメリットになるはずだと考えたのです」と、同社会長兼CEOの鈴木博之氏は説明する。

業界の常識を打ち破る
先駆的グローバル展開

丸一鋼管は早くからグローバル展開も視野に入れ、輸出を手掛けてきた。1965年には大阪・堺の工業団地に3万3000坪の本格的な鋼管工場を建設し、石油開発ラッシュに沸くアメリカへの輸出を開始。1980年以降は、堺工場で製造されたAPI規格の鋼管を油井管として積極的に売り込んだ。

「当時は、LC(信用状)取引において、銀行から前受金がおりる制度もあり、資金調達も比較的スムーズでした。1985年のプラザ合意による円高不況までは好調が続き、ピーク時には輸出比率が3割程度になりました」

全文をご覧いただくには有料プランへのご登録が必要です。

  • 記事本文残り71%

月刊「事業構想」購読会員登録で
全てご覧いただくことができます。
今すぐ無料トライアルに登録しよう!

初月無料トライアル!

  • 雑誌「月刊事業構想」を送料無料でお届け
  • バックナンバー含む、オリジナル記事9,000本以上が読み放題
  • フォーラム・セミナーなどイベントに優先的にご招待

※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。