企業育成による地域活性が地銀の使命

福岡を基盤に、地域の中小企業の育成に力を注いできた西日本シティ銀行。これまでの改革の歴史や課題、今後の成長戦略について、同行・谷川浩道頭取と、事業構想大学院大学・永野芳宣特命教授の2人が語る。

谷川 浩道(西日本シティ銀行 代表取締役頭取)、永野 芳宣(事業構想大学院大学 特命教授)

相互銀行から普通銀行へ
歴史的背景が持つ強みと弱み

永野 谷川頭取は、1976年に大蔵省に入省され、30年以上にわたり財政金融政策に携わってこられました。その後、郷里福岡の西日本シティ銀行のトップに就任されて6年になると伺っております。この3月に発表された中期経営計画の基本戦略として、①地域の発展をリードするグループ総合力の発揮②お客様起点の"One to Oneソリューション"の提供③持続的な成長に向けたリソース革新という、3つの柱を上げておられますね。

永野 芳宣(事業構想大学院大学 特命教授)

谷川 中期経営計画の最終的な目的は「地域社会をどう盛り上げるか」であり、3つの基本戦略はそのための手段です。

永野 芳宣(事業構想大学院大学 特命教授)

当行の変遷を語らせていただくと、源流である西日本相互銀行は、1984年に普通銀行の西日本銀行へと転換しました。そして2004年に、やはり相互銀行から普通銀行に転換していた福岡シティ銀行と合併して西日本シティ銀行が誕生したのです。

この歴史が当行の現在に光と影を落としています。

相互銀行の融資先は「従業員300人以下または資本金4億円以下(1982年に8億円以下に拡大)」と制限されていました。つまり、大企業とは取引できないというハンディキャップを背負っていたのです。

制約の影響は個人取引にも及びます。1970年代半ばに大手企業や官公庁で給与振込が始まりました。しかし、相互銀行は大手地場企業や大多数の地方自治体と取引がなく、給与振込の取り扱いはメインバンク・指定金融機関である福岡銀行が押さえました。相互銀行側は個人のお金の大きな流れをつかむことができませんでした。この差は大きく、先人は悔しい思いをしたことでしょう。

普通銀行に転換後、先人は「負けるものか」と努力をしてきました。まだ道半ばですが、その努力があったからこそ、今日の我々があるのです。

半面、当行は中小企業専門金融機関として長い間、地域の中小企業の方々と苦楽を共にし、その成長を支援してきました。さまざまな支援の取組がありますが、中でも半世紀の歴史を持つのが「経営者賞」です。他の模範となる企業経営者を表彰するもので、受賞者数は今年で計171になりました。受賞企業には、外食産業のロイヤルホールディングスのように福岡を代表する企業が多数入っています。同社と同じように、ゼンリン、第一交通産業、ナフコ、ピエトロ等々...、当行が創業時から支援して優良企業に成長した企業は、数えればきりがありません。

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