銅山で発展した町の地域産業 閉山後の成長を支えた理念と挑戦

かつては、別子銅山が地域産業の基盤であった愛媛県新居浜市。閉山後45年を経過するなかで、どのように事業を変化させて、地域産業を持続・発展させてきたのであろうか。

愛媛県新居浜市は、住友家が経営する別子銅山が1691年に稼業してから1973年に閉山されるまでの282年間、銅山とともに発展してきた企業城下町である。

浅井 宏行(住友金属鉱山 取締役常務執行役員 経営企画部長)

山から浜への事業転換

「別子銅山が閉山したのは1973年ですが、当時は『山から浜へ』を合言葉に、閉山前から、鉱山事業に携わっていた従業員の受け皿の準備を入念に行っていました。そして別子銅山の閉山により原料となる銅鉱石は採れなくなりますが、金属の製錬技術はこれまでの蓄積があります。閉山する2年前の1971年に新居浜市の臨海部に、当時の最先端の技術で、輸入原料をもとに製錬する東予工場を建設しました。かつて煙害の対策として新居浜の沖合20キロにある四阪島の銅製錬所は1977年に亜鉛リサイクル工場として生れ変ったのです。さらに、1987年には機能性材料を扱う磯浦工場を稼働し、新たな材料分野での事業展開を推進しました。」と浅井常務。

鉱山の閉山には抜本的な事業転換が必要とされる。北海道夕張市の夕張炭鉱のように、閉山後の事業転換や産業構造の改革が計画通りに進まず地域に負担をかけてしまうこともある。

鉱山開発はいつの日か、必ず資源が枯渇する日が到来する運命にある。そのため鉱山会社は、資源を有効に活用し、なるべく閉山という事態を避けるために次のような対策を実施している。

1.既存鉱山の周辺地域を探鉱し、新たな資源を確保する。

2.鉱物の含有率が低い鉱石も効率よく採掘する。

3.様々な製錬技術を高めて、採掘した鉱石から有用な鉱物を選別する。

しかし、それらの施策には限界がある。そのため、閉山後に備えて、次の柱となる事業を早くから準備する。新居浜では、鉱山事業から製錬事業、機能性材料事業に順次シフトしていったのである。

愛媛県新居浜市の銅製錬所

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