2018年7月号

人間会議

スポーツを通じた学びを継続し、社会に活かす

山口 香(筑波大学 教授、柔道家)

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2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会でのメダル獲得に向けて、多くのアスリートたちが努力を重ねている。他方で、競技に参加する若いアスリートたちにとって、オリンピックでの勝利は人生のゴールではない。スポーツを通じた学びは、引退後の人生や社会においても活かされることが望まれる。「人生100年時代」を迎える中で、生涯を通じたスポーツによる学びの継続や社会への応用が、ますます重要になっている。

山口 香(筑波大学 教授、柔道家)

 

 

柔道を通じて自己を完成し
世の中に資する人間を目指す

――柔道は人格修養としての側面も強く、生涯学び続け、極めようとしている方も多数いらっしゃいます。

教育者の嘉納治五郎先生(1860~1938年)はかつて、柔術の各流派の良いところを集めて「講道館柔道」を創始しました。今ではそれが、世界で行われる柔道になっています。

嘉納先生は術を学ぶことだけでなく、術を学ぶことを手段として、人間教育することを目指していました。私自身、競技者出身ですが、柔道で重要なのは試合における勝ち負けだけでなく、技を極めること、そして技を極めるプロセスを学ぶことだと思います。それらを通じ、自分自身を完成させていくのです。

真剣勝負は高い集中力を要し、自分の恐怖心との戦いでもあります。試合ならではの緊張感のなかで得た反省や課題を自分の中でフィードバックし、アウトプットしていくことが重要です。「勝って驕らず、負けて腐らず」の言葉が示すとおり、試合に負けても学ぶものは多くあります。

嘉納先生はまた、自己の完成とあわせて世の中に資する人間となるよう教えていました。柔道や剣道のような武道には段位制度がありますが、世界チャンピオンになっても最高段位を得られるわけではありません。柔道は生涯にわたり、柔道を核として自分がどう生きるかを示してくれます。その理念は世界の人々に受け入れられ、今では約200の国や地域で柔道が行われています。

今の時代はオリンピック熱が高いですが、スポーツや柔道の価値をそこだけに絞るならば、スポーツは若くて体が利く間だけのものになってしまいます。戦うことや挑戦することには良い側面も多いですが、勝つことだけに価値が集中するのは残念なことです。

若いアスリートたちは現在、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会を目標に頑張っています。しかし、オリンピック選手の人生は、競技引退後の方が長くなるのが普通です。人生100年時代を迎える中、10代でメダルを取った選手がその後、「自分のピークは10代だった」というのでは寂し過ぎます。本当にスポーツを価値あるものとして捉え、力を示せるどうかは、ある意味、アスリートたちのその後の生き方に掛かっています。

生涯を通じて学び続ける

――スポーツ選手として活躍した人は、その後の人生でそれをどう活かしていくのが良いでしょうか。

アスリートの卵や指導者の方々に心に留めていただきたいのは、一度取った称号は消せないということです。世の中で忘れられることはあっても、消すことはできません。

日本ではオリンピックでメダルを取っても、その後の生活が保障されるわけではなく、何らかの生業を持って生きていかなければなりません。しかし、人生は良いことばかりでなく、時には事件や事故に巻き込まれることもあります。

そのような場合、五輪メダリストは30年後や50年後でも称号が残っていますから、一般の人々より大きな社会的制裁を受けることになります。ある意味では、トップ・アスリートはその覚悟も持って生きなければなりません。しかし、そういった負の部分はあまり指導者も親も教えていないと思います。

また、スポーツの能力が高ければ人格が良いというわけではなく、特に若い選手の人格が既に完成されているはずはないのですが、社会の人々はそれを期待します。もちろん、スポーツを通じ、自分を律する力や自立心、マナーなどを学ぶことはできますが重要なのは、それらを社会に出た時に応用できることだと思います。

例えば、勉強ばかりしてきた人は、他の人たちが一般的にやってきたことを経験していません。ですから、学校の勉強がよくできても、知らないことは多いと自覚することも大事です。スポーツ選手も同様で、スポーツに多大な時間をかけていれば、普通の人と同様に勉強する時間はありません。ですから、スポーツが一段落したら、それまでできなかったことを頑張るという意識を持つことも重要です。

周囲の人たちも、五輪メダリストだからと言って、人格的にも優れた人と考えるのではなく、競技生活後はそれまでできなかったことに取り組み、バランス良く育ってもらうという見方も必要だと思います。

アスリートたちはすごく苦しいことをしているはずですが、「オリンピックは楽しい」と言います。これは、先に見られる世界を楽しみにしているからです。ですから、自分自身を追い込み、苦しいところにも入っていきます。このようなことは、おそらく若い時しかできない経験で、若い時は頑張るべきです。その記憶は、その後の人生でも大切です。

他方でスポーツは若い人だけのものではなく、年齢を重ねても、運動を続ければ進歩があり、筋肉量も上がっていきます。ただ、進歩の速度は若い人と異なり、一気にやることはできません。

アスリート・指導者・スポーツ行政という多様な観点から、スポーツが学びに果たす可能性を語った。

学んだ型を時代に合わせて
読み解き、社会に応用

――柔道を通じた学びはどのように進め、社会に活かしていくのが良いでしょうか。

柔道では「稽古する」と言いますが、稽古は古いものを考えることでもあります。武道や武芸、茶道、華道のような道は、型によって伝承されてきました。型にはその流派を作った人の想いや美に対する考え方、生き方、日本人としての常識などが網羅されています。その型を繰り返し学んで真似るのが、稽古なのです。

そして「師匠はなぜ、この型を作ったのか」と自分なりに考え、読み解いていくのが修業です。時代によって読み解き方は変化し、それぞれの時代に合った解釈ができると思います。ですから指導者が、自分が生きてきた世界で読み解いたことを教えれば、今の時代には合いません。

指導者は型を教え、今の時代に置き換えたらどう活かせるのかを弟子自身に考えさせます。型を学んだ後は、自分のスタイルで型を破ることが必要になります。さらにその先では、自分なりに得たものを、今度は社会に応用していくのです。

例えば、料理の場合、包丁の使い方を習得すると、その先には100人いれば100通りの調理の仕方や味付けがあるはずです。修業は大変でも、型を習得すれば、その先にはワクワクすることがあるのです。学問の世界も同様でしょう。何かを覚えてようやくできるところに到達した場合、それを応用するところが最も楽しいはずなのに、その前に力尽きてしまう人が多いのは残念なことです。

――時代の変化に伴い、社会で求められる能力も変化しています。

昔の方がわかりやすかったのは、頑張ればその分、出世し、給料が少しずつ上がり、買える物が増えていったということです。そこに、頑張ることで成果を得られるスポーツが結びつけられていたと思います。

しかし、時代が変化し、今は頑張った分だけ成果が上がり、正当な報酬や評価を得られる時代ではありません。夢を見にくい複雑な社会になり、私たちも若い人たちに「頑張ればこうなる」という説明はできなくなっています。

昔を生きてきた人たちは昔の社会の在り方が染みついていて、今後の社会には順応するのは至難の業です。しかし、今生まれ育っている子どもたちは、それができます。ですから、私たちは「やりたいようにやってごらん」と言い、求められればサポートしていくというのが良いと思います。

社会では、以前は「我慢強い」、「逆らわない」、「挨拶がしっかりできる」といったイメージがある体育会系の評判が良かったですが、今は変化しています。「文句を言わない」だけなら、人間よりロボットの方が優秀なのです。

従順で「はい」しか言わないような人間を育てても、今の社会では以前ほど必要とされません。少し生意気でも自分があり、やりたいものに向かって技を創り出す。そういう人の方が重宝される時代で、指導者にはそういう人を許容できることが求められます。

一方、若い人たちはインターネットで得た情報などで「わかった気になる」のではなく、実体験としてやってみることも重要です。知っていることと、わかることは異なります。すべてを経験することはできませんが、やってみなければわからないことはたくさんあり、経験をしなければロボットや人工知能(AI)に負けてしまうでしょう。

経験がないのに何でもわかっているような錯覚がある子たちには、スポーツを見せることで、夢を目指して挑戦し、達成することは素晴らしいと示せるかもしれません。そういう意味では、今後の世の中でスポーツが廃れることはなく、スポーツは人間に必要なことを教えてくれると思います。

 

山口 香(やまぐち・かおり)
筑波大学 教授、柔道家

 

 

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