世界初の「単分子誘電体」で千倍以上の記録密度と電力消費9割減 次世代の半導体メモリー開発へ

(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第36号<2025年12月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

かつて世界を席巻した日本の半導体産業は技術革新の遅れで米国や韓国の後塵を拝する状況が続く中、次世代の新たなメモリー素材として期待できる「単分子誘電体」を広島大学の研究チームが発明した。それを事業化するため同大学発スタートアップ「株式会社マテリアルゲート」が立ち上がった。記録密度が現在の千倍以上に向上でき、世界的な課題であるコンピューターの消費電力を9割削減できるという画期的な素材。「素材の力で未来をつくる」との企業理念の実現に向けてまい進する。

株式会社マテリアルゲート 代表取締役社長兼CEO 中野佑紀氏
株式会社マテリアルゲート 代表取締役社長兼CEO 中野佑紀氏

常識を破る新素材の発明 広島大学・西原教授らの研究

広島県東広島市の郊外に広大なキャンパスを構える広島大学。学生や教職員の姿がまばらなその片隅にあるインキュベーションオフィスに「マテリアルゲート」は本社を置く。研究室は最近三つに増設し、新たな物質の精製装置や合成炉、顕微鏡などが所狭しと並んでいるが、まだ大学の実験室のような雰囲気だ。ガラス瓶に一見して食塩のような白い粉末の物質が入っている。それが、将来の半導体産業を革新するとの期待がかかる、世界的な発明の「単分子誘電体」だ。

広島大学が「世界初!室温で一つの分子に情報記録〜強誘電性を示す分子の開発により、記録密度が千倍以上に〜」とのニュースリリースを発出したのは2018年8月だった。開発したのは当時の同大学院理学研究科の西原禎文准教授(現・同大学院先進理工系科学研究科教授)らの研究チームだ。西原氏はその分子を「単分子誘電体」と名付けた。

強誘電性とは、電場によって分極(電荷のプラスとマイナス)を示し、電場を切っても分極を保持する性質だ。強誘電体はすでに実用化されており、電気をためるコンデンサーや、情報記録媒体であるメモリーの材料に用いられている。だが、現在の強誘電体は物質の分子が集まった結晶であり、先進技術ではより微細化が求められる中で、一定のサイズよりも小さくすると、その性質が失われてしまうという物理的な限界があるという。

これまでは物理的に単一分子では強誘電性はあり得ないとされていた。しかし、西原氏の研究チームは、従来の定説を覆す発明を実現した。

籠状の分子の中に金属イオン プラスとマイナスが1と0に

強誘電性を実現した特殊な分子は、30個のタングステン、110個の酸素、5個のリンの原子からなる「プレイスラー型ポリオキソメタレート」といい、籠状の空洞を持つ。この分子構造自体は1970年に発明されたものだが、西原氏らはこの空洞に着目した。籠状の内部の空洞にテルビウムという金属イオンを格納した。金属イオンは空洞の中心からずれた2カ所の安定したサイトのいずれか一方に存在し、どちらかのサイトに停止することで、分子電極が発現する。

このプラスとマイナスを数字の1と0に対応させれば、デジタルの情報記録材料として使うことができる、という世界で初めての発明だった。しかも、この単分子誘電体は室温以上の温度環境でも、その性質が観測されるため実用化に適していることが分かった。

サイズが1ナノメートル(ナノは10億分の1)という極小の一つの分子が、データの最小単位である1ビットに当たる。メモリーとして製品化すれば、現在使われているHDD(ハードディスクドライブ)に用いられている強磁性体メモリーの記録密度と比べると、千倍以上向上させることができるという。

さらに、このメモリーをコンピューターに実装した場合は、理論上は消費電力が9割も削減できる計算になる。IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)、ビッグデータなど、膨大な量の情報をやりとりする現代のコンピューター社会において、世界的な課題は大量の電力消費だ。将来、単分子誘電体のメモリーが社会に実装されれば、経済性ばかりでなく脱炭素の地球温暖化対策にも貢献する、と期待される。

広島大学の研究成果として世界で初めて開発された「単分子誘電体」。分子一つ一つが情報を記録できるこの新素材の実用化を目指し、身近なデジタル技術の未来を切り開く研究が進められている
広島大学の研究成果として世界で初めて開発された「単分子誘電体」。分子一つ一つが情報を記録できるこの新素材の実用化を目指し、身近なデジタル技術の未来を切り開く研究が進められている

大学発スタートアップ設立 教授が指導した卒業生が社長に

「これは革新的な技術だ。ビジネスチャンスがあるのではないか」と直感したのは、当時は大阪市内の化学メーカーに勤めていた中野氏だった。中野氏が広島大学理学部4年生だった2010年に、西原氏が准教授として赴任してきた。大学院まで西原氏が指導教官だったため、卒業後も研究室との交流が続いていた。

西原氏は北海道大学で博士号を取得し、単分子誘電体の発明の元となったアイデアはその頃から温めていたというが、広島大学で研究を始めたのは2011年。研究室の学生たちと6年がかりで取り組み、メモリーとして使える可能性を示すことができたという。

その実用性に大きな期待を持った西原氏は、さらに研究を進めるために科学技術振興機構(JST)の2019年度「戦略的創造研究推進事業(さきがけ)」に申請し採択された。室温よりも高い温度でも強誘電性を保つことができるように、分子の中の金属イオンを大きくして動きにくくするなどの工夫を続けた。実際に半導体の工場でメモリーを試作して作動することが確認できたため、2022年度に再度、JSTに申請して採択されたことから、広島大学発のスタートアップ設立構想が具体化していった。

「社長になることに決まったのはあの結婚式がきっかけだった」と中野氏は振り返る。それは大学の1学年下の加藤智佐都博士の結婚式でのことだった。加藤氏は単分子誘電体に関する論文に名を連ね、広島大学のニュースリリースにも明記された研究チームの中心的なメンバーだ。「結婚式でも彼女の研究が実用化できそうだと話題になっていた」という場で、同席していた西原氏が「中野君、会社の社長は君がやってくれるよね」と唐突に頼んできた。

2013年に大学院を修了して就職していた中野氏は、研究開発で3年、技術営業などで5年半会社員を経験していた。「会社での仕事は順調だったし、脱サラしようなんて思ってもいなかった」と言う。だが、元指導教官からのリーダーとしての資質を見込んだ上での誘いと、コンピューターの新たな素材の可能性に引かれて決意し2021年8月に退社した。その2カ月後に第1子が誕生するというタイミングでの大胆な行動でもあった。

中野氏は、研究や技術開発に加えて、初めて会社経営の責任を背負うことになり、経営の基本を学ぼうと、関西学院大学の経営管理修士(MBA)を取得した。そして2023年6月、西原氏と300万円を共同出資して「マテリアルゲート」設立にこぎ着けた。西原氏は最高科学責任者として研究開発を支えている。

先進的素材の開発を通じ、次世代情報技術の創出と社会実装に取り組む中野氏(左)と西原氏(右)
先進的素材の開発を通じ、次世代情報技術の創出と社会実装に取り組む中野氏(左)と西原氏(右)

ひろしまユニコーン10に採択 大きな将来性に社会が注目

広島大学発のスタートアップが、世界で唯一無二の技術でコンピューター社会を革新するかもしれない、という期待が地元で一気に高まった。広島県などは早速、「広島型エコシステム・イノベーション創出プログラム」に続き「ひろしまユニコーン10」プロジェクトにも採択した。ユニコーンは10億ドル以上の価値のある企業だ。地域からそのような企業を生み出すことを目指して事業の急成長を伴走支援するプロジェクトで、ベンチャーキャピタルなどからの問い合わせが増えていった。

さらに2024年、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「ディープテック・スタートアップ支援事業」にも採択された。実用化研究開発や量産化実証などを支援する事業で、2年間で2億8千万円が助成された。広島大学発のスタートアップでこの事業に採択されたのは初めてだった。

株式会社マテリアルゲートが拠点を構える広島大学インキュベーションオフィス。産・学・官の研究開発機関と最先端のテクノロジーが結集する広島中央サイエンスパーク内に位置する
株式会社マテリアルゲートが拠点を構える広島大学インキュベーションオフィス。産・学・官の研究開発機関と最先端のテクノロジーが結集する広島中央サイエンスパーク内に位置する

同社はベンチャーキャピタルなどの出資を受けて、資本準備金を含めた資本金は1億4300万円。日本公庫からの資本性劣後ローンも2千万円受けている。当初は中野氏が1人で切り盛りしていたが、現在は正社員6人、派遣社員を加えると16人体制に育ってきた。大手半導体メーカーのベテラン技術者や、筑波大学大学院から産業技術総合研究所を経て入社した30歳代のインドネシア人など多様な人材を確保。2025年1月に、大学発スタートアップの経営経験がある元銀行員の伊勢賢太郎氏を最高執行責任者(COO)として迎え入れ、経営実務スタッフも拡充した。

「素材の力で未来を創る」 新素材の社会実装化へ始動

まさに日進月歩の半導体メモリー産業は、微細化による情報記録の高密度化と高速処理を競っている。近づく物理的な限界を打破し、消費電力を大幅に削減できる素材として脚光を浴びている単分子誘電体だが、製品化に向けては「まだまだビジネスリスクはある」と中野氏は率直に語る。同社はまず、薄膜コンデンサーの製品化に着手している。成膜(フィルム化)の高品質化の技術を高める。その次に半導体メモリーの生産を手掛ける計画だ。

事業計画では、2028年までに、従来の強誘電体を組み込んだ記憶デバイスのFeRAMなどに取って代わるメモリーを製品化。2032年にはコンピューターの主記憶装置として使われているDRAMを代替し、2040年にはSDカードなど広く使用されているNANDに代わる製品を市場に送り出す、という壮大な目標を掲げている。

創業に当たり「素材の力で未来を創る」という理念を掲げた。「社名に単分子誘電体やメモリーなどの単語を含めていないのは、特定の技術や産業にフォーカスすることなく、材料開発で社会を変えていくという思いを込めているから」と中野氏は話す。マテリアル(材料)をゲート(入口)に、豊かな未来社会の創造を目指している。

マテリアルゲートの創業を率いた中野氏(前列右から2番目)を中心に、多様な人材と共に革新的な素材技術の実用化に挑んでいる
マテリアルゲートの創業を率いた中野氏(前列右から2番目)を中心に、多様な人材と共に革新的な素材技術の実用化に挑んでいる

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