熾らせよ 伝統と技術 -熾リ株式会社-
(※本記事は経済産業省近畿経済産業局が運営する「公式Note」に2025年3月14日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

特徴的な「熾リ(いこり)」という企業名、これは関西圏の方言の「熾る(いこる)=炭が、焔を出さず、しかし力強く真っ赤になって熱を持続的に放出すること」を語源としており、「大きな火を灯すわけではないが、明るく強く、熱い光をずっと放てる会社にしたい」という、前川さんの想いが込められています。

熾リ(株)が次代に引き継ぐ熱:神戸ザック IMOCK

熾リ株式会社は、1993年に前川さんが創業。
現在は2021年に神戸ザックから事業を譲り受けた「神戸ザックIMOCK(イモック)」の製造販売を中心に事業運営されています。
神戸ザックは、前代表であった星加さんの登山にかける熱い思いが高じて創業された鞄(ザック)メーカーでした。
自らも登山愛好家である星加さんによって考えつくされた設計の登山鞄は、地元高校の登山部を始めとして、たくさんの方々に愛されてきましたが、星加さんがお歳を召され、閉業やむなしという状況に。
そこで、熾リ(株)が事業承継に名乗りを上げ、神戸ザックにかけられた星加さんの熱い想いは、すんでのところで若い職人に引き継がれたのです。
現在、神戸ザックは新長田に工房を構え、裁断から縫製まですべての工程をそこで完結させています。


答えはこの記事の最後に!!
神戸ザックの魅力:変わらないものと変えるもの そして新しい熱
星加さんが生み出した全てのデザインには、星加さんの哲学が詰まっています。
前川さんと技術を引き継いだ職人さんたちは、なぜこういったデザインになっているのかを、都度、星加さんに確認し、その思いと共にデザインを承継しつつ、トレンドや使用場面に合わせて少しずつ手を加えていっているそうです。

例えばカラーバリエーション。
登山鞄といえば、万が一遭難した時にも発見してもらいやすい派手な色が鉄板。そんな中、神戸ザックの登山鞄は、確かに目を引く色でありながら落ち着きも感じさせる絶妙な色味が特徴。前川さん曰く、これは星加さんのこだわり。とのこと。
色に関してはさらにこんなエピソードも。
星加さんは、黒い鞄は山で目立たない!とご法度扱いしていました。
でもタウンユースやファッションを考えると黒は必須。
星加さんの哲学との真っ向勝負になりましたが、星加さんの奥様のとりなしもあって最後には黒い鞄を認めてもらいました。

右:登山鞄でありながら、街中で背負っていてもオシャレな色と形。カラフルな登山鞄も右下の黒いタウンユース鞄もどちらも素敵。
働く若い職人さんに、一番思い入れのある鞄についてお伺いしました。

一番思い入れのある鞄は、巾着型の鞄です。
星加さんから2年間かけて技術を承継し、初めて自分たちで一から作ったデザインなんです。
星加さんは昔気質の職人さんで、私たちとやり方が違うところもありましたが、必死にメモを取って技術を身に着けました。

なぜ熾リ(株)が事業承継を?:事の起こりは乱痴気
「もともとは乱痴気というセレクトショップをやっていたんです」
30年前にセレクトショップを始めたという前川さん。
阪神大震災やリーマンショックなどを経験されていく中で15年ほど前から世の中の潮流の変化を感じたという。
「ライフスタイルが変わってくる。プラスチックから陶器に。機械仕事から手仕事に。スローライフ、田舎暮らしが始まってくるだろうなと。」
そこで、地場産業に目を向けた前川さんは「Made in Hyogo」ブランドを立ち上げ、兵庫県内の地場産地巡りを始めました。
そして、地場産業が抱える課題を目の当たりにしたのでした。
その中でも特に大きなものが事業承継。
素晴らしい技術を持っているのに後に継げない、継ぐ人がいないという企業を沢山見てきたそうです。神戸ザックもそんな中の1社でした。

セレクトショップと事業承継、ましてや製造業なんて、全く違うお仕事だったのでは?
「実は、私たちがやってたセレクトショップは、海外の工場を訪ねてファクトリーブランドを一緒に作ったり、海外の人向けの既存製品を日本人向けにカスタマイズしたものを特別注文したり、結構製造とかかわりがあったんですよ。海外の製品のタグには製造した工場名が書かれているので、かっこいいなと思ったら住所を調べて突撃していました。兵庫県内の地場産地を回っていた時も、最初の方はその時と同じ感じでした。」
そんな前川さんと神戸ザックを結び付けたのは、なんと神戸ザックのロゴのイモムシ!
ある日に電車内で目にしたイモムシのキャラクターがなんとなく頭に残っていたのが、後年、「Made in Hyogo」ブランドの活動の際に前川さんの頭によみがえり、前川さんを神戸ザックへと導いたのです。
当時、前川さんと神戸ザックとは商品を買い付けるバイヤーと製造メーカーという関係でしたが、付き合いが続く中で、星加さんがお歳のことを考えて廃業を検討しているとの話が出てきました。
この素晴らしい技術とブランドが失われてはいけないと感じた前川さんは事業承継を決意し、一緒に技術を学んでくれる若い職人さんと共に神戸ザックの歴史と技術を受け継いだのです。

いざオープンファクトリー:デトロイトから長田へ
神戸市では2023年より市内のものづくり企業の工房・工場を公開する、地域一体型のオープンファクトリー「開工神戸」を実施しています。
第2回までは、古くからものづくり産業が盛んな長田区を中心に開催し、以降は神戸市全域を会場として開催しています。
前川さんのオープンファクトリーとの最初の出会いは実は日本ではなく海外でした。
セレクトショップのバイヤー時代に全米中を駆け回っており、その時に見たデトロイトの街並みがずっと頭の中に残っていたといいます。
「当時、イタリア、フランスなど海外の有名ブランドでも、国内での製造回帰というのが目立ってきていました。その中でおもしろかったのがアメリカ・デトロイトの事例で、かつて自動車関連の工場があった土地が、工場の廃業によりスラム街となっていたんです。」
「その工場を、2013年頃にShinola (シャイノラ)というベンチャー企業が買い取って、アメリカで人気のある野球やアメフトのボールなどを製造し、メイドインUSを復活させようとしていました。その企業がオープンファクトリーを行い、工場を、中の様子が外から見えるようにきれいなガラス張りにしたり、カフェを併設したりしていました。その結果、かつてのスラム街がおしゃれなストリートになっていったんです。」
「これは最先端だと思いましたね。こんなのが出来ればいいなと思いました。それまでは小売り専門でしたが、製造にも着目して事業承継をする。それがまちづくりにつながり、セレクトショップの新しい在り方ができるのではと思いました。」
このような想いがあり、神戸ザックの事業承継の際には、本社地を現在の場所(新長田)に移転すると共にショップと工房をお客さんに見てもらえる形にして、様々な発信も開始しました。
その取り組みの一つが、自社独自で行うオープンファクトリー「神戸ZAC山の日」です。
こちらは、自社単独ではなく、長田という街全体を盛り上げたいという想いから、地元の企業とのコラボもしています。
例えば、お向かいの酒屋さんには角打ちを実施してもらっているんだとか。
そんな中、前川さんは長田区役所からオープンファクトリーについて相談を持ち掛けられ、ワークショップの開催などのアイディア出しから、開工神戸に参加していくことになりました。
次なる熱い想い:開工神戸で得られたもの

開工神戸での当社への来訪者は、第1回は200人超え、第2回は300人超えだったそうです。毎年工夫を重ねながら運営を行って来ました。
「開工神戸で来訪してくださったお客さんのデータから、今のうちの客層がはっきり数字で表されました」
先代の神戸ザックの客層は主に登山が趣味の高齢者の方々でしたが、事業承継をしてからはなんとなく30代~50代にシフトしてきたかなという雰囲気があったそう。
しかし、客層が本当にシフトしているのか、測る術がありませんでした。
そんな時にオープンファクトリーでの神戸ザックへの来場者のデータを得ることができ、感覚通り30代~50代の方々によく来場してもらえていたことが裏付けられたのです。
「ようやくターゲット層が定まった。街も山も好きな30~50代で、時代の先を行く、大衆に追いかけられる側の層を狙っていく。」
社内の体制もステージアップしつつあります。
これまでは「職人さんにはまずは技術をしっかり習得して欲しい」との思いから、オープンファクトリーや社内企画については前川さんがメインで行っていましたが、事業承継から5年目となり技術承継は一段落したことから、今後は企画運営についても職人さん中心に行ってもらう予定です。
2025年3月からは自社独自で月2回のオープンファクトリー開催を予定しており、まさに職人さんが準備を進めているところ。同社は次なるステージへと進み始めています。
2025年で創業55周年となる神戸ザック。
前川さんはこれからも若い職人と共に「明るく強く、熱い光」を放ち続けます。

「修験者が仏像を背負うためのカバン」です!神戸ザックの対応力の高さが感じられます!
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- 近畿経済産業局 公式note