コダックが描く印刷の未来構想──伝統とテクノロジーの融合で進化を続ける

コダック 上席執行役員 中川 武志氏

かつて世界の写真文化を支えたコダックは、いま「印刷」という新たなステージで進化を続けている。2012年の経営危機を経て、印刷関連事業に軸足を移したコダックジャパン。上席執行役員・営業本部長の中川武志氏は、縮小する市場の中にこそ新たなチャンスを見出し、「情報加工産業」としての印刷の可能性を追求している。レジリエントな組織づくりと柔軟なリーダーシップで、時代の変化に立ち向かう経営幹部の構想を追った。

アナログからデジタルへ、──時代の変化を何度も経験しながらも、コダックというブランドはそのたびに姿を変え、社会の“記録と伝達”を支え続けてきた。

「私たちは、単にフィルムを中心とした写真用品メーカーから脱皮した企業ではありません。情報を“形にする”ことを通じて、人と社会をつなぐ技術を提供しているのです」

そう語るのは、コダック合同会社 上席執行役員・営業本部長の中川武志氏。1992年の入社以来、30年以上にわたり印刷関連事業の現場を歩み続けてきたプロパー社員だ。

再生の原点にあった“選択と集中”

米国本社が2012年に連邦破産法第11章の適用を受けたことは、世界中のコダック社員にとって大きな転機となった。「民事再生法に相当する手続きの中で、どの事業を残し、どこに集中するか。そのときに選ばれたのが、いま私たちが軸に据えている“印刷”の領域でした」と中川氏は振り返る。

コダックといえば、かつては一般消費者用写真フィルムから映画用フィルム、レントゲンフィルムに至るまで、あらゆる場面でフィルムを提供する企業だった。高速道路の監視カメラ用フィルムまで手がけ、生活のあらゆる場面に存在していた。しかし、デジタル化の波は急速に押し寄せた。皮肉なことに、世界初のデジタルカメラを開発したのはコダック自身だったが、既存のフィルム事業の収益性が高かったがゆえに、新技術への転換が遅れてしまった。いわゆる「イノベーションのジレンマ」に直面したのだ。

生活のあらゆる場面で使われていたフィルムの需要が印刷業界においても急速に縮小するなか、コダックはオフセット印刷用プレートやワークフロー、デジタル印刷システムなどBtoB向けの事業構造へと舵を切った。同時に映画用フィルム等の一部事業は残しつつ、レントゲンフィルム等多くの既存事業を手放す決断をした。

「ここ10年で私たちが進めてきたのは、まさに“再構築”のプロセスです。既存の延長ではなく、新しい顧客価値をどう生み出すかを問い続けてきました」

日本法人であるコダックジャパンも、この方針に従って事業を集約。米国本社は100%親会社であり、グローバルの戦略に沿った展開が求められた。

現場から生まれたマーケットイン発想

入社以来、営業一筋で歩んできた中川氏の転機は2016年に訪れた。主力製品であるオフセット印刷用プレートの新製品プロモーションを任されたときだった。大阪で10年間、印刷会社を取引先として営業活動を行い、2002年に東京へ異動。その後も一貫して印刷関連製品の営業に携わってきた中川氏にとって、この新製品プロモーションは新たな挑戦だった。

「それまでは“作ったものを売る”というプロダクトアウトの発想が中心でした。でも、現場の声を聞くほどに、日本市場には独自のニーズがあると感じたんです。そこから、“どうすればお客様の業務に本当に役立つのか”を考えるようになりました」

印刷業界は保守的な業界だ。新しい技術や製品を導入することへの慎重さがある。その中で、どう新製品の価値を理解してもらい、浸透させていくか。中川氏は全国を飛び回り、顧客やパートナー企業とのコミュニケーションを重ねた。単に製品を説明するのではなく、それが業務にどんな改善をもたらすのか、具体的な価値提案を行った。

顧客と共に改善を重ねることで、同製品は今も国内売上の約7割を占めるオフセット印刷用プレートの主力製品に成長した。中川氏自身の営業哲学も、その経験を機に大きく変化したという。

「私たちが届けているのは単なる製品ではなく、“業務を変える体験”です。技術をどう使えば価値が生まれるのか。そこにこそ営業の使命があると思っています」

この実績が評価され、2018年1月、中川氏は営業本部長に就任。外資系企業ということもあり、海外とのコミュニケーションも増えた。

紙が持つ“レジリエンス”

印刷物の需要は1990年代のピーク時に比べて大幅に減少しており、日本印刷産業連合会の統計によれば、ピーク時には約9兆円あった印刷物出荷額が、2023年度には約5兆円にまで減少している。特にコロナ禍は大きな影響をもたらした。出社しなくなったことで社内報の需要が激減し、ホームセンターは広告を打たなくても客が来るようになり、チラシの発注が止まった。一度作らなくなると、なかなか元には戻らない。

しかし中川氏は「印刷には、依然としてデジタルでは代替できない価値がある」と語る。

「たとえば東日本大震災のとき、電力が失われても機能したのは紙の防災マップでした。避難所の場所、簡易トイレの設置場所、給水ポイント──電気がなければスマートフォンも使えない状況で、紙の情報が人々を支えたのです。印刷物には、“どんな環境でも伝わる”という強さがあります」

また、デジタルデバイスにアクセスしにくい高齢者にとって、紙媒体は今も重要な情報源だ。地方では地域新聞がその地域の情報を得る手段として欠かせない存在となっている。

紙には「包む」「保存する」「記録する」という三つの基本的な機能がある。中川氏はそれを「人と情報を結ぶインターフェース」として捉え直している。

「印刷は単なる製造業ではありません。情報を加工し、社会に届ける“情報加工産業”です。情報量自体は増え続けています。それをどう加工し、どう届けるか。紙はその手段の一つであり、私たちはそこに、新しい価値を見いだしています」

実際、出版印刷やチラシなどの商業印刷は減少しているが、パッケージ印刷の需要は依然として堅調だ。お菓子の箱、ラーメンの袋、米袋──これらはすべて印刷物であり、生活に欠かせない存在だ。

技術で拓く、印刷の次のステージ

コダックの印刷関連技術を支える二本柱は、中川氏が販売プロモーションに大きく関わった環境負荷を抑えたオフセット印刷用完全無処理プレート「SONORA」と、独自のコンティニュアス・インクジェット技術によるデジタル印刷「PROSPER」シリーズだ。

現像処理工程を一切不要にしたSONORAは、薬品・水・電力の使用を大幅に削減し、優れた印刷適性で商業・新聞印刷の両分野を支える。従来のオフセット印刷用プレートは現像処理が必要だったが、SONORAはその工程を省略できる。環境への配慮が求められる現代において、このサステナビリティは大きな競争優位性となっている。

一方でPROSPERは、従来のオフセット印刷機に可変印刷機能を付加できるインプリンティングシステムとして注目されている。コダック独自のコンティニュアス・インクジェット技術は、一般的な家庭用プリンターのドロップオンデマンド方式とは異なる。インクを常に噴射し続け、必要な部分だけを紙に落とし、不要なインクは回収して循環させる。この方式により、高速大量印刷が可能になる。

「印刷物にシリアルコードやQRコードを高速で印字し、トレーサビリティや販促データとつなぐ。紙が“計測できるメディア”になることで、マーケティングの世界も大きく変わります」

実際、たばこのパッケージには既にこの技術が使われている。一つひとつ異なるQRコードを印刷し、消費者がそれを読み取ることで、誰がいつどこで購入したかというデータが企業側に蓄積される。消費者にはポイントが付与され、企業はデータドリブンなマーケティングが可能になる。お菓子のパッケージや自治体の印刷物など、応用範囲は広い。

中川氏は“アナログとデジタルの融合”を印刷の未来と見据えている。「どちらかを否定するのではなく、両者の強みを組み合わせる。それが、次の時代の印刷のあり方だと思います」

オフセット印刷には、印刷部数に関わらず必ず版(プレート)が必要になる。100部でも1万部でも、4色印刷なら4枚の版を使う。つまり、印刷需要の減少がそのまま版の需要減少にはつながらない。オフセット印刷の需要がある限り、版は必要なのだ。この事業構造が、コダックの強みとなっている。

グローバル企業ならではの挑戦

外資系企業として、コダックジャパンはグローバル本社の方針に従いつつ、日本市場独自の対応も求められる。3年前、コダックは世界中に散在していた約100のITシステムを4つに集約した。ウェブサイトも各国独自のものから統一プラットフォームへと移行した。コスト削減と効率化が目的だが、日本独自のマーケティング活動がしづらくなるという課題も生まれた。

「日本の常識は世界の非常識、と米国本社担当者から言われることもあります」と中川氏は苦笑する。「長年、日本の商習慣に慣れ親しんできた私たちにとって、グローバルスタンダードへの適応は簡単ではありませんでした。でも、合理的な面も多い。シンプルにすることの価値を、私たちも学んでいます」

また、国内では代理店戦略を強化している。全国の印刷会社に直接アプローチするには限界があるため、パートナー企業との連携を深め、効率的にエンドユーザーへ価値を届ける体制を構築している。

柔らかいリーダーシップで、変化をつなぐ

営業本部長として中川氏が大切にしているのは「柔らかいリーダーシップ」だ。

「強いリーダーシップというと、どうしても“俺についてこい”というイメージになります。でも本当に必要なのは、社員一人ひとりが考え、意見を交わせる柔らかさ。見える化と同時に“言える化”を進めることで、組織は強くなっていきます」

毎週、自らが社内に発信するメールマガジンもその一環だという。数字だけでなく、プロジェクトの背景やメンバーの声を添えて伝える。「発信は、一方通行では意味がありません。社員からの反応や議論が生まれて初めて、チームが“動き”になる。それが私のリーダーシップの原点です」

かつて新製品プロモーションを担当していた間、中川氏は毎日メールマガジンを発信し続けた。月曜から金曜まで、一日も欠かさず。製品に関連するニュースや情報を共有し、それに対する反応を拾い上げた。そこから生まれたコミュニケーションが、製品の成功を支えた。

「成果を出すことが、リーダーシップの継続には不可欠です」と中川氏は言う。どんなに良いことを言っても、結果が伴わなければ人はついてこない。だからこそ、チーム全体で成果を上げるための環境づくりに注力している。

上席執行役員 中川 武志氏
上席執行役員 中川 武志氏

“変化を恐れず、進化し続ける”企業へ

フィルムの時代を牽引してきたコダックは、デジタル化の波を乗り越え、いま再び“記録と表現”の領域で新しい価値を創り出している。さらに米国では長年培ってきたケミカルの技術を基に医薬関連事業など新規事業の強化にも取り組んでいる。

「市場が縮小しているように見える領域にも、必ずチャンスがあります。印刷を“過去の産業”としてではなく、“未来のコミュニケーション技術”として進化させたい。変化を恐れず、柔軟に挑み続けること。それが、コダックがこの先も社会に貢献し続けるための道だと思います」

印刷という伝統産業に革新の光を当てる中川氏の構想は、時代の変化をしなやかに受け止め、次の成長を構想する多くの企業にとって、“レジリエントな進化”のヒントとなるに違いない。