近代の技術革新をリードした技術者たちの軌跡
テクノロジーの進化が私たちの暮らしに与える影響は、計り知れないものである。小さなスマートフォンひとつで世界中と瞬時につながり、AIが仕事の効率を飛躍的に向上させ、宇宙旅行が商業化されつつある現代、私たちは科学技術の恩恵を当たり前のように享受している。しかし、今日に至る技術の進歩を支えてきたのは、先人たちの超人的な熱意と努力の賜物であることを忘れてはならない。
欧米列強から圧倒的な遅れをとっていた近代日本において、当時の工学者や技術者たちは、どのようにして西洋由来の科学技術を「移植」し、自らの手で「創造」するに至ったのか。本書は、特に電気通信技術に焦点を当て、その過程を詳細に分析している。
本書で扱われている時代は、1891年に国内で最初の電気関連研究機関である逓信省電気試験所が設立された時期から、1937年に国内で研究から保守運用までを完結する通信システムが稼働を開始するまでの半世紀弱である。鳥潟右一や八木秀次、松前重義など、この時期に指導的役割を果たした工学者や技術者が本書の主な分析対象となっている。
その1人である八木秀次(1886~1976)は、太平洋戦争中に学界を代表して内閣技術院総裁を務めるなど、工学界の論客としても知られた。テレビ放送受信に使われる「八木宇田アンテナ」の共同発明者として、その名を知る人も多いだろう。八木が指導者を務めた東北帝国大学電気工学科では、「電気を利用する通信法の研究」を主たるテーマに掲げ、八木宇田アンテナの発明もその組織的研究プロジェクトの成果の1つであった。その他、同学科で指導的役割を担った教授陣や研究テーマの分担、卒業生たちの研究概要など、地道な基礎研究が後世に残る発明へとつながっていく様子が描かれ、研究開発のダイナミズムが見事に描かれている。
こうした事例から浮かび上がるのは、国を背負って立つという工学者や技術者たちの気概である。「鳥潟右一や八木秀次のような戦前の理工系エリートは『世界の檜舞台』で戦えと周囲に檄を飛ばしつつ、アグレッシブかつ闘志に溢れた活動を展開していた」と著者は振り返る。「研究開発はオリンピックと同様の、国家の威信を競い合う競争の舞台という性格を有していた」という。
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