福岡と北海道から「日本食」を世界に発信する久原本家グループ

だしの「茅乃舎」、めんたいこの「椒房庵」といった食ブランドで人気を博している総合食品メーカー・久原本家グループ。現社長が入社した当時は従業員6人だったが、42年経った現在はグループ年商約280億円、従業員1200人の企業へ発展。その驚異的成長の軌跡に迫る。

河邉 哲司(株式会社久原本家グループ本社 代表取締役社長)

明治26年創業の醤油蔵
たれやスープのOEMで成長

のどかな田園風景が広がる福岡県糟屋郡久山町に、久原本家グループの本社はある。かつて久原村だったこの地で初代村長を務めた河邉東介氏が、明治26年に始めた醤油蔵がルーツだ。

2000年にオープンし、20周年を迎えた「久原本家 総本店」

「2代目は中国や韓国へ醤油をどんどん輸出し、華やかに事業を拡大させました。ところが戦争で下火になり、私の父が急遽登板して、苦しい時代になりました。当時は従業員6人で、醤油を小さなトラックに積んで1軒1軒配達するような商売でしたから、正直、私はあまり継ぎたくなかったのです。しかし、父がどうしてもと言うので、大学卒業後、すぐに家業に入りました」と4代目の河邉哲司社長は語る。

当時は、それまで和食中心だった日本に洋食や中華料理が広まりつつあった。「今後は醤油だけでやっていくのは厳しい」と考えた河邉氏は、醤油を原料にしてたれを作ることを思いつく。

「近所の餃子メーカーがスーパーで本格的に商品を展開する時期と重なり、小袋に入れた餃子のたれを提案しました。これが当社の最初の転機です」

その後、納豆のたれやラーメンのスープなど、他社商品を作るOEM事業が軌道に乗り、会社は順調に拡大した。そんな中、従業員の何気ない一言に河邉氏の心は大きく揺さぶられた。

「工場の女性に『この仕事は下請けだから、いつなくなるかわからんのじゃないですか』と言われたのです。確かに当社の歴史を振り返ると、時代の波に翻弄され、足元をすくわれたこともある。今は調子がいいけれど、OEMでは自社の名前が全く表に出ないし、先が見えないのは事実でした」

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