2015年7月号

人間会議

伝統的農業を次世代へ継承「世界農業遺産」

武内和彦、永田明(国連大学)

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世界農業遺産とは

農業の歴史は飢餓との闘いの歴史であった。国連食糧農業機関(FAO)では、とくに開発途上国において、人々を飢餓から救うために、「緑の革命」に象徴されるような品種改良や耕地の拡大を進めて食料の増産をはかり、人口増加に見合う食料の供給を推進してきた。こうした取り組みについては一定の評価がなされる一方で、地域の暮らしや文化、生物多様性や環境の保全と必ずしも調和しないという大きな問題も提起されてきた。このような模索の中で生まれたのが、次世代に継承すべき世界的に重要な伝統的農業をFAOが認定する「世界農業遺産」という仕組みである。

世界農業遺産とは、正式にはGlobally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS ジアス)と呼ばれ、FAOが2002年のヨハネスブルクサミットを契機に開始した取組である。農業の近代化が進む中で失われつつある伝統的な農業・農法をはじめ、生物多様性が守られた土地利用や美しい景観、農業と結びついた文化などが組み合わさり、ひとつの複合的な農業システムを構成している地域を認定し、その保全と持続的な活用を図るものである。

UNESCOの世界遺産が対象物を現状のまま保存することに価値をおいているのに対し、FAOの世界農業遺産は、さまざまな環境の変化に適応しながら今後も進化を続ける「生きている遺産」であることを重視している。

世界農業遺産は、これまでに世界で31の地域が認定されており、その4分の3はアジアにある。とくに中国に11地域、日本に5地域と、やや東アジアに偏っている。残りの4分の1は、アフリカ(6地域)と南米(2地域)にあり、欧米など日本以外の先進国では、関心はあるもののまだ認定には至っていない。

FAOによる世界農業遺産の5つの主要な認定基準は、(1)食料と生計の保障、(2)生物多様性と生態系機能、(3)知識システムと適応技術、(4)文化、価値観と社会組織、(5)優れた景観と土地・水管理の特徴である。このほかにも、FAOに提出する申請書には、歴史的重要性、現代的重要性、脅威と課題、実際的な考慮、アクションプランの要約などを記述することとされている。

図1 世界農業遺産の日本の認定地と候補地

GIAHS 認定地

● トキと共生する佐渡の里山(新潟県佐渡)

● 能登の里山里海(石川県能登)

● 静岡の茶草場農法(静岡県掛川周辺)

● 阿蘇の草原の維持と持続的農業(熊本県阿蘇)

● クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環(大分県国東)

GIAHS 候補地

  1. ● 高千穂郷・椎葉山の森林保全管理が生み出す持続的な農林業と伝統文化(宮崎県高千穂郷・椎葉山)
  2. ● 里川における人と鮎のつながり(岐阜県長良川上中流域)
  3. ● みなべ・田辺の梅システム(和歌山県みなべ町・田辺市)

日本における世界農業遺産の取り組み

日本では、伝統的な「里山」を中心に世界農業遺産に取り組んではどうかという国連大学の提案によって、2010年頃から本格的な取り組みが始まった。北陸地方の佐渡と能登を対象に検討を始め、2011年6月に中国の北京で開催されたGIAHS国際フォーラムにおいて、佐渡(新潟県)の「トキと共生する佐渡の里山」、能登(石川県)の「能登の里山里海」が先進国で初めて世界農業遺産に認定された。

佐渡では、金山の歴史が生み出した棚田などの水田で、冬期湛水など「生きものをはぐくむ農法」とその認証制度が推進されるとともに、能や鬼太鼓などの農村文化を継承し、佐渡独特の自然、風景、文化、生物多様性が保全されている。

能登では、棚田やため池による美しい里山の景観と、海女漁、揚げ浜式製塩など里海の資源を活用した伝統技術が継承されるとともに、あえのことやキリコ祭りなど農業と結びついた風習や文化が多く保全されている。

また、2013年5月には石川県の能登で、2年に一度の世界農業遺産国際会議(GIAHS国際フォーラム)が開催され、FAOのトップであるシルバ事務局長をはじめ国内外から600名が参加した。ここで新たに、日本から掛川周辺(静岡県)の「静岡の茶草場農法」、阿蘇(熊本県)の「阿蘇の草原の維持と持続的農業」、国東半島宇佐地域(大分県)の「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島宇佐の農林水産循環」が認定された。

掛川周辺では、伝統的な「茶草場農法」によって、茶園の近くにあるススキなどの草原(茶草場)の乾草(茶草)が茶園の土づくりに用いられ、茶の品質を高めながら同時に半自然草地特有の生物多様性が保全されている。

阿蘇では、千年以上続く「野焼き」などの伝統的な草原の管理方法により、木が生い茂るのを防ぎながら、あか牛の飼育に必要な草資源を確保するなど、持続的な農業の営みにより雄大な自然景観が維持されている。国東半島・宇佐地域では、日本一の原木乾しいたけ生産や、日本で唯一の水稲作とシチトウイを組み合わせた生産をはじめ、多様な農林水産業が日本最大のクヌギ林と、連携するため池群による水利システムによって持続的に維持されている。

当初は認知度が低かった世界農業遺産も、近年、地域の関心が高まってきており、農林水産省では、2014年3月に世界農業遺産への認定申請を希望する地域を評価するために「世界農業遺産(GIAHS)専門家会議」を設置した。この専門家会議は武内が委員長を務め、認定申請希望があった7地域について3回にわたる厳正な審議と委員による各地域の現地調査を行った。

その結果、2014年10月に、農水省の承認を得てFAOに世界農業遺産を認定申請する地域として、長良川上中流域(岐阜県)の「里川における人と鮎のつながり」、みなべ・田辺(和歌山県)の「みなべ・田辺の梅システム」、高千穂郷・椎葉山(宮崎県)の「高千穂郷・椎葉山の森林保全管理が生み出す持続的な農林業と伝統文化~森と農林文化が創る森林理想郷~」の3地域が決定された。

長良川では、人の生活・水環境・漁業資源が相互に連関する里川のシステムがあり、鮎を中心とした内水面漁業が盛んで、流域の人々の日々のくらしや水質保全活動により清らかな流れが保たれ、その清流により鮎が育ち、地域の人々が鮎からの恩恵を享受している。

みなべでは、養分に乏しい礫質の斜面を利用し、梅林としての利用と周辺には薪炭林を残すことで水源涵養や崩落防止等の機能を持たせ、薪炭林に生息するニホンミツバチと梅との共生等、地域資源を有効活用して高品質な梅を持続的に生産する農業システムが維持されている。

高千穂では、険しく平地が少ない山間地において、針葉樹と広葉樹で構成されるモザイク林による森林保全管理、伝統的な焼畑農業、急斜面に築かれた500km超の水路網を有する棚田での米作りなどの複合的な農林業システムが維持され、神楽など特色ある伝統文化も継承されている。

これらの3地域はすでにFAOに申請書を提出しており、FAOの委員による現地調査が5月に行われたところである。

図2 世界農業遺産と農産物のブランド化

掛川

茶草場農法実践者認定制度

 

佐渡

「朱鷺と暮らす郷」認証マーク

 

能登

世界農業遺産「能登の里山里海」ロゴマーク

能登棚田米

世界農業遺産認定の成果

世界農業遺産に認定された地域では、すでにさまざまな活動が始まっている。たとえば、日本で初めて認定された能登では、認定を契機に「能登棚田米」のブランド化が始まり、さらに、今年からは能登の全7JAによる環境に配慮した「能登米」の販売が始まった。このほか、世界農業遺産に関連する認証制度として、能登では「世界農業遺産 未来につなげる『能登』の一品認定制度」、佐渡では「トキと暮らす郷づくり認証米」、掛川では「茶草場農法実践者認定制度」、国東では乾しいたけとシチトウイのブランド認証制度などが取り組まれている。また、世界農業遺産はツーリズムの振興にも貢献している。能登で農家民宿を営む「春蘭の里」では、47軒の農家民宿に年間約8000人もの利用客が訪れる。さらに、能登では新規就農者が2009年の16人から2013年には74人に増えたが、彼らの中には世界農業遺産の認定も考慮に入れたという声もある。

しかし、世界農業遺産に認定されたからといって、すぐに農産物のブランド化やツーリズム振興の成果が出るわけではない。それよりも重要なことは、これまでごく当たり前に感じていた地域の暮らし、あるいは過疎化・高齢化の中で元気をなくしがちであった自分たちの地域が、「世界」に認められたことによる自信と誇りの回復である。国連大学が能登の輪島高校(生徒数約400名)で行った調査では、8割の生徒が「世界農業遺産認定を誇りに思う」、「認定が地元の活性化につながると思う」と答えており、世界農業遺産の認定は若い世代にもプラスに働いていることがわかる。

世界農業遺産の今後

世界農業遺産は、最近、農政の中にも本格的に位置づけられるようになっている。2015年3月31日に新たな「食料・農業・農村基本計画」が閣議決定されたが、その中に、世界農業遺産の認定拡大に向けた取り組みの推進が明記されている。今後、このような政策を通じて、次の世代に伝統的な農業システムが着実に継承されていくことを期待している。今年はイタリアのミラノで、「地球に食料を、生命にエネルギーを」をテーマに、2015ミラノ国際博覧会が開催される。世界農業遺産に認定された日本の5地域も共同で、10月16日から21日まで、日本館イベント広場において「ディスカバーGIAHS~日本が誇る農業遺産~」をコンセプトに出展することになっている。武内もこのイベントの開会セレモニーで日本の世界農業遺産について講演することになっている。このような国際的なイベントを通じて、これからも、最先端の技術を持つハイテクな先進国でありながら伝統的な農業も継承している「日本」の姿を世界にアピールしていきたい。

図3 世界農業遺産認定の成果(能登における高校生へのアンケート調査結果)

出典;石川県輪島高校アンケート(2012年11月)

 

武内 和彦(たけうち・かずひこ)
国連大学(UNU)上級副学長
国連事務次長補
東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長 教授

 

永田 明(ながた・あきら)
国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)シニア・プログラム・コーディネーター

 

『人間会議2015年夏号』

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