スマートセル技術の実用化に成功 旭化成ファーマと取り組んだ挑戦
(※本記事は「産総研マガジン」に2024年10月9日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
健康診断の際に測定されるコレステロール値、血糖値、尿酸値などの診断には、生化学検査試薬などの臨床検査薬(体外診断用医薬品)が用いられる。旭化成ファーマ株式会社(以下、旭化成ファーマ)は、これら検査薬の原料となる酵素生産において高い国内シェアを持つ。同社と産総研は、「スマートセル技術」の実用化により、コレステロール値の測定に使われる酵素「コレステロールエステラーゼ」の大量生産と製品化に成功した(2023/6/30プレスリリース記事)。この成果は、両者が細胞の物質生産の仕組みに関する知見、ゲノム解析、ゲノム編集技術などを集結させながら、いくつもの失敗を乗り越えて手にしたものだ。バイオエコノミー社会の発展へ寄与するこの技術の開発に携わった旭化成ファーマと産総研の研究者へのインタビューを通して、両者の挑戦の軌跡をたどった。
高生産性を追求し、失敗を乗り越え、スマートセルにたどり着く
健康診断で測定されるコレステロール値。この検査に使われる試薬の原料が「コレステロールエステラーゼ(以下、CE)」と呼ばれる、コレステロールエステルを分解する酵素だ。採取した血液成分にこの酵素を加えて反応させ、色素の変化を数値化することで、血中のコレステロール値の高低を測ることができる。旭化成ファーマの診断薬事業部は、1970年代初頭からこの酵素を検査薬原料として供給してきた。
CEは自然界に存在する微生物「バークホルデリア・スタビリス」から複雑な経路を経て細胞外に分泌されることが以前から知られており、従来はこの菌そのものを培養タンクで培養することで、CEを生産していた。しかし生活習慣病が社会問題化し、コレステロール値に対する人々の関心が高まることにより、検査試薬の需要が年々増加。2000年代に入る頃にはCEを効率よく増産することが、旭化成ファーマ診断薬事業部の重要課題の一つとなっていた。
「診断薬原料の酵素生産において、当社は国内のリーディングカンパニーです。CEの市場シェアを保ちながらコストダウンを図り、事業をさらに拡大することが診断薬事業部の重要課題となっていました」と、同事業部開発研究部探索研究グループの村松周治主幹研究員は背景を語る。
タンパク質や酵素の生産効率を高めるためには、遺伝子組換えを行った大腸菌を用いてタンパク質生産を行う方法や、生産菌自体の遺伝子を変異させて生産量を上げる手法(突然変異育種法)などが一般的に用いられる。ただ、CEに関してはこういった手法を用いても期待するレベルの生産効率の向上は達成できなかった。例えば突然変異育種法では、野生株の約2.8倍までは生産量が向上したが、そこで頭打ちになってしまったのだ。
「2年間ほど、当時使われていたあらゆる方法を試しましたが、うまくいかない。いったんは研究が中断しましたが、再び動き出したのは、2016年度に始まったNEDOのプロジェクトへの応募がきっかけでした」と、同グループの小西健司主任研究員は振り返る。
このプロジェクトは「スマートセルプロジェクト*1」と呼ばれる。生物の細胞を人工的に改変して、スマート(性能が高い)セル(細胞)をつくり出し、酵素やタンパク質の生産能力を高めて、それを原料に工業製品の素材や医薬品をつくるという試みだ(産総研マガジン「スマートセルとは?」)。
産総研の生命工学領域の研究者たちは、以前から共同研究で成功実績のあった旭化成ファーマに、「なにか新しいテーマで共同提案しないか」と誘いをかけた。その誘いを受けたのが、当時、旭化成ファーマの酵素開発部門を率いていた酒瀬川信一だ(酒瀬川はのちに、旭化成ファーマから産総研に移り、現在は生物プロセス研究部門総括研究主幹を務めている)。
「『絶対無理なテーマならありますが……やりますか?』と悩みながらも応じました。産総研と旭化成ファーマは、共同研究で成功実績があります。今回のプロジェクトは確かに難しいけれど、この内容が実現すれば大きなインパクトがある、そう判断して、プロジェクトへの参画を決めました」と、酒瀬川は言う。
野生株を宿主とするコレステロールエステラーゼ組換え発現技術を世界で初めて確立
スマートセル開発においては、まず微生物のゲノム情報を取得する必要がある。バークホルデリア・スタビリスは3つの環状染色体の中に、6,764個の遺伝子を持つことがわかった。
研究チームは、大腸菌を用いてタンパク質生産を行う方法ではなく、バークホルデリア・スタビリスそのものを宿主とした組換え発現系の構築を目指した。それは、過去に小西たちが積み重ねてきた大腸菌を使う実験により、「大腸菌では原理的にCEの生産量は向上しない」という知見があったからだ。
まずは、CEを高発現させる新規プロモーター*2を探索した。複数の条件で培養した菌体からRNAを抽出し、シーケンス解析により各遺伝子の転写量を算出。ここで得られた各遺伝子の転写量情報を基に、培養条件の変化に影響されず、構成的に遺伝子を強く発現制御する最適プロモーター配列を把握することに成功した。
それらを使った結果、バークホルデリア・スタビリスそのものを宿主とした発現系の構築には成功したが、事業化にはまだ生産効率が低く、短時間にCEの生産量を上げることはできなかった。さらに、従来手法や遺伝子情報解析を活用した手法を用い、作製した多数の変異株の中から生産効率の高い株を探索したが、CE生産効率の向上に寄与する遺伝子を見いだすことはできず、十分なCE生産量を得られる株はみつけられなかった。
研究はいったん頓挫するかに見えたが、旭化成ファーマと産総研の研究チームは、まだあきらめなかった。4,000以上の変異株の中から比較的生産量の高かった数株を選び出し、さらに組換え発現系を構築する際に得た発現ベクターを、この数株に導入してみたところ、CE生産量が顕著に向上した株を発見することができた。
「それまでの実験の5倍ほどの高い活性を示したので、すごく驚きました。最初に発見した時は、『絶対ウソだ……。もしかして私が実験プロセスを間違ったんじゃないかな』と思ったほどです」と振り返るのは、旭化成ファーマの村田里美研究員だ。
新たに発見したこの高生産株には、不思議なことに本来3つある染色体のうち第3染色体がすべて欠損していることがわかった。後に判明するのだが、その欠損した第3染色体上に、生産能力を高めるための鍵を握る複合体を構成する3つの遺伝子が存在していた。第3染色体上の3つの遺伝子のいずれかが破壊されることで発現ベクターの安定性が向上し、培養後期まで転写が継続するというメカニズムだったのだ。
(記事の続きはこちらから。産総研マガジン「旭化成ファーマと産総研がスマートセル技術の実用化に成功!」)

