創業300年以上の酒蔵がホテルに 日本酒文化を体験価値に変える挑戦

(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第37号<2026年4月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

長野県東部に位置し、北に浅間山、南に八ケ岳連峰を望む佐久平は、千曲川の豊かな水を利用した米作が盛んで古くから酒どころとして知られる。6年前にこの地に開業した酒蔵ホテル®「KURABITO STAY(クラビトステイ)」は、江戸時代から続く酒蔵で酒造りに参加する「蔵人体験」を提供し、日本酒を愛する人々から絶賛されている。酒を通じて佐久の風土や文化を発信するこのユニークな宿は地域を巻き込み、まちづくりの核としても光を放っている。

代表取締役 田澤 麻里香 氏
代表取締役 田澤 麻里香 氏

(こうじ)づくりから始まる伝統的な技を学ぶ

クラビトステイは、創業300年以上を数える老舗の酒蔵「橘倉(きつくら)酒造」(長野県佐久市)の敷地内にある。かつて酒造りの職人たちが寝泊まりした「広敷(ひろしき)」と呼ばれる築100年を超える建物の風情あるたたずまいに、クラビトステイの創業者で運営会社の社長を務める田澤麻里香氏がほれ込み、直談判して蔵人体験のための滞在先として改装した。

宿泊客は隣接する酒蔵で伝統の酒造りの技を学ぶ。米を洗って蒸すところから麹室での麹づくりまでを体験する1泊2日コースと、日本酒のスターターとなる酒母(しゅぼ)を育む酛立(もとだ)てにも参加する2泊3日コースがあり、3日間にわたる麹づくり全体を経験できるリピーター限定の上級コースも用意されている。

希少な体験に引かれてやってくる客の4割は海外からで、これまで香港やシンガポール、米国、カナダ、オーストラリアなど30を超える国や地域の人々がクラビトステイを訪れた。2泊3日の蔵人体験は寒造りの時期である真冬が中心で週末限定。1回の受け入れ可能人数も最大10人と少ない。オンライン旅行代理店を通じた予約も受けていないが「ディープな日本の文化を体験したい、本物の日本を見たいという人」(田澤氏)に支持され、ほぼ毎回予約で埋まる。キャンセル待ちが出ることもあるという。

冷たい水での洗米作業に挑む参加者たち。寒造りは真冬の厳しい環境下で行われる
冷たい水での洗米作業に挑む参加者たち。寒造りは真冬の厳しい環境下で行われる
本物の日本文化を求めて、世界30カ国以上の人々が訪れる
本物の日本文化を求めて、世界30カ国以上の人々が訪れる

欧州に憧れ、旅行やワインを仕事に

クラビトステイの田澤社長は佐久市の隣、小諸市の「自動販売機もない山奥」で、教師だった両親の下で育った。「外の世界を見たい」との思いが人一倍強く、10代の頃は、パリ・モンマルトルを舞台に空想好きな女性の日常を描いて大ヒットした映画「アメリ」にはまり、欧州への憧れを募らせていたという。

大学で東京に出て、文学部でフランスの言語や文学を学んだ。卒業後は大手旅行会社に就職し、ツアーの企画や手配、添乗まで何でもこなした。猛烈に働き、夏休みには仕事でたまった航空会社のマイルを使って大好きなフランスに出かけていく生活を送った。

世の中はデフレ真っただ中で、旅行業界もひたすら安さを競っていた。「飛行機も宿も食事も添乗員も全部付いたヨーロッパ1週間のツアーが8万円」(田澤氏)と信じられないほど安価なツアーが話題を呼ぶなど、旅行の「質」は二の次になりがちだった。顧客からのクレームに翻弄(ほんろう)され、ひたすら「客をさばく」ことに疲弊した田澤氏は、旅行業界に別れを告げてワインの輸入会社への転職を決める。

添乗で訪れたフランスで飲んだ本場のワインの「飲む人の情緒に訴えかける色気やストーリー性」に感動し、スクールに通って勉強していたことが役立った。転職先では営業として百貨店やリカーショップ、レストランを回り、「ワインを飲むのが仕事」という毎日はとても楽しく充実していた。

しかし、そんな日々は妊娠が分かったことで思いがけず終わりを告げる。仕事を続けたいという思いは強かったが、会社や周りの十分な理解を得ることは難しかったという。「どうして女性は妊娠したとか、小さい子どもを育てているというだけで働く機会が減ってしまうのか」。悔しさを胸に職を辞した。

無職になったことで積み上げてきたものが全てリセットされるような恐怖に襲われた。出産後に東京や当時住んでいた埼玉で再就職を目指したが、保育園の空きもなく1歳の子どもを抱えての就職活動は行き詰まった。

地域おこし協力隊員として信州に戻る

絶望していたその時、故郷の小諸市が観光資源を生かした地域づくりの司令塔となる組織を立ち上げようとしていることを知る。旅行業経験者を探しているのを見て「自分が呼ばれている」と応募し、地域おこし協力隊員として1年間、観光資源の掘り起こしや旅行者を呼び込む仕掛けづくりに取り組んだ。

橘倉酒造との出会いは、ワインや日本酒の製造元を巡るバスツアーを企画していた時だった。小諸市内には受け入れてくれる先が見当たらず隣の佐久市を探して回る中で、歴史をたたえた蔵の厳かな雰囲気に魅了された。

ツアーに協力してもらった後も付き合いは続き、敷地内で物置になっていた古い建物が、新潟から酒造りのために働きにくる越後杜氏(とうじ)たちの宿舎として使われていたことを知り、「ここに寝泊まりして酒造りを体験できたら」とひらめいた。

フランスの田舎でワイナリーを訪れた際、現地の人に「日本人はSAKEという自分たちの文化があるのに、どうしてワインばかり追いかけるのか」と問われ、自分たちの地域や文化に自信と誇りを持つ彼らがまぶしく見えたことを思い出した。ワインスクール時代の先生は日本酒にも精通していて、地域の風土や文化に根差した日本酒の奥深さを教えてくれた。それまでのキャリアで培ってきたものが全てつながったような気がした。「自分も地域の宝物のような文化や歴史を発信する側に行きたい」と思った。

橘倉酒造の井出平専務(現社長・第19代当主)にアイデアを話すと「面白い」と言ってもらえた。酒造りは繊細な作業の連続で部外者の蔵への立ち入りは通常は許されない。しかし、橘倉酒造には企業の従業員研修のための酒造りへの参加を受け入れた経験があった。自分で資金を集めるならと協力を快諾してくれた。

ビジコンでグランプリ獲得、夢を形に

夢はできたが、事業計画の立て方もお金の借り方も知らない。子どもを育てながら、自分らしく働くための場は「自分で立ち上げるしかない」と決意したものの、何をすればいいのかも分からなかった。思い付いたのはビジネスプランコンテストに出ることだった。勉強会に参加し、サポートを受けながら夢を形にするための事業計画を練った。

「いつ来るか分からないお客様を待つ営業では無駄が多い。家族との時間も両立できない。ならば週末限定にしちゃおう。観光地でもない佐久に来てくれるのはどんな人たちだろう。どんなコンテンツがあれば来てくれるだろう」。地域おこし協力隊の時から考え続けてきたことを反映させた酒蔵ホテル®のプランは、外食大手ワタミ創業者の渡邉美樹氏が代表理事を務める公益財団法人が主催する「みんなの夢AWARD」の全国大会で見事グランプリを射止めた。

コロナ禍のさなか、酒蔵ホテル®開業

グランプリ獲得の3カ月後の2019年5月、田澤氏は酒蔵ホテル®の運営会社を設立。貯金やコンテストの賞金に加えて借り入れや行政の助成金で3千万円を調達し、翌年の3月には満を持して酒蔵ホテル®を開業した。

運悪くコロナ禍のさなかの営業開始となり、最初の数カ月は売り上げがほぼゼロだったが、バーチャル酒蔵見学に物販を組み合わせるなどソーシャルメディアを駆使した「ファンづくり」を地道に続けた。口コミが広がり、新型コロナが落ち着くにつれて「お客様がお客様を呼ぶ」(田澤氏)ようになった。

クラビトステイに宿としての華美なところや派手な仕掛けはない。寝泊まりするのは「蔵人の寝床」をイメージしたくぐり戸付きの畳の間で、1人用の部屋は2.5畳ほど。寝具以外の余計なものがない空間は、まるで茶室のようにシンプルだが、訪れた人にはそれが逆に新鮮に映るという。

木おけのふたを再生したテーブル。蔵人体験をする仲間と一緒に過ごす特別な場所
木おけのふたを再生したテーブル。蔵人体験をする仲間と一緒に過ごす特別な場所
客室には畳と布団だけの潔い空間。余計なものを削ぎ落とし、宿泊客に深い安らぎをもたらす
客室には畳と布団だけの潔い空間。余計なものを削ぎ落とし、宿泊客に深い安らぎをもたらす

蔵人体験の朝は早い。そろって朝食を取った後、酒の神様を祭る祭壇の前で邪気ばらいの神事に臨んだ瞬間から、客は「蔵人」になる。酒造りの作業は見た目以上に重労働だが、1日の終わりに地元の酒を酌み交わしながらその日の体験を振り返れば、かけがえのない絆が生まれる。標準的な1泊2日の内容でも1人約7万円と安くはないが、本物の体験が客を魅了する。海外の顧客から「50万円でもいい」と言われたこともあるという。

宿泊客は写真中央奥の酒蔵へと入り、伝統的な酒造りの技を体験する
宿泊客は写真中央奥の酒蔵へと入り、伝統的な酒造りの技を体験する

100年後も誇れる故郷を守り伝える

田澤氏がクラビトステイで目指すのは「100年後も誇れる故郷を守り伝える」ことだ。運営会社のサイトには「持続可能な観光振興を目指し、お客様と地域の間に立ち、事業を通して地域らしさを磨き、高め、これを国内外に発信します」とのビジョンが掲げられている。「私はホテルや旅館を成功させたいわけじゃなくて、まちづくりがしたいんです」

クラビトステイでは朝食は提供するが、昼食や夕食は基本的に外に食べに行ってもらう。地域全体で訪問客を受け入れてもらい地元の活性化につなげたいからだ。「都会にはない人の温かさを感じたり、心と心が通う交流ができたりするのが田舎。お客様はそれを求めていらっしゃる」。自分たちだけで客を囲い込もうという意識はないのだという。

橘倉酒造と共に設立した「SAKU酒蔵アグリツーリズム推進協議会」に地元の飲食店を巻き込み、インバウンド対応セミナーの開催や英語対応のメニュー作成などの取組みも進めてきた。そば打ち体験など地域の飲食店とのコラボレーションで生まれた企画も多い。酒造りが行われない夏場のために、酒米の水田や地域の神社や古寺を自転車で巡って、佐久の酒造りを支えてきた風土や文化を感じてもらうツアーも始めた。

昨年、同じ長野県の上田市に2軒目の酒蔵ホテル®をオープンした。こちらは蔵人体験こそないが、やはり江戸時代から続く地元の老舗酒蔵である「岡崎酒造」の協力を得て、酒と食が育む地元の文化を目と舌で味わってもらうことにこだわった。将来はクラビトステイを通じて培ったノウハウを、もっと多くの地域の活性化のために生かせないかとも考えている。田澤氏の挑戦はまだまだ続く。

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日本公庫つなぐ
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