『ピーター・ドラッカー』 マネジメントの父の知られざる実像に迫る

「マネジメントの父」、ピーター・ドラッカー。その生涯を振り返ると、「マネジメントのドラッカー」という捉え方が、ごく一面的に過ぎないことに気づく。

本書は、1909年、オーストリア・ウィーンでの出生に始まり、ドイツ・フランクフルトでの新聞記者時代、ナチス・ドイツからの迫害を逃れるように渡ったロンドンでの投資銀行勤務、妻ドリスを伴って渡米、極貧生活の後にニューヨーク大学教授などを経て、晩年はロサンゼルス近郊のクレアモント大学院大学教授の職に就きながら、教育や精力的な執筆活動、コンサルティング活動を続けた生涯を、時系列に振り返りながら、「マネジメントの父」に新たな光を当てる。

各時代を代表する著作も随所で紹介され、書かれた背景がよく分かる点も興味深い。膨大な著作へのガイドブックとして読むこともできるだろう。例えば1969年の著作『断絶の時代』でドラッカーは、世に出る若者が自分に問うべきは、「自分は何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいか」だと述べている。若者に限らず、誰しも折に触れて問い直すべき問いではないだろうか。あるいは、1967年の著作『経営者の条件』から、井坂氏は「強み」というキーワードを紹介する。強みとは人間の内部にすでにある力であり、各人が抱える固有の特性を生かすこともマネジャーの重要な役割だとドラッカーは説いている。部下の育成に悩む読者には示唆深いはずだ。

経営学者、マネジメント学者、未来学者、傍観者、社会生態学者、コンサルタント、ジャーナリスト、大学教授など、様々な肩書きが与えられてきたドラッカーだが、その行動を見ると、まぎれもなく「書く人」であったと著者は見る。実際、ドラッカー本人も「教壇に立ち、コンサルティングも行うが、私の仕事は20歳以来書くことだった」と述べている。死を間近に控え、自身が残した知の継承について問われると、「I am a writer(私は書き手である)」と簡潔に答えたそうだ。「私の遺産はすでに書いたものだ」という趣旨だろうと著者は述べる。

現在ものつくり大学で教授を務める著者は、ドラッカーが亡くなる半年前、東洋経済新報社の編集者として直接インタビューしている。すでに耳も遠くなっていたため、質問をノートに書きつけて差し出すと、さっと表情に生気が戻ったという。終始まっすぐに視線を井坂氏に合わせ、そのまなざしには他者への開かれた態度、常に人に信頼を置く生き方が現れていたと回顧する。最晩年の肉声に触れる機会に恵まれたからこそ、生身の人間としてドラッカーの人物像を立体的にあぶり出せたのかもしれない。ドラッカー入門としても、すでに何冊も読破しているファンにとっても、ドラッカーの新たな横顔を知るのにうってつけの1冊だ。

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