転んでも骨折しない ── 「硬くて柔らかい」 特殊な床材で超高齢社会の課題を解決
(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第35号<2025年7月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
 
歩く時は硬く転びにくく、転んだ時だけ柔らかく骨折リスクを低減させる。この相いれないような性質を持つ画期的な床材を、静岡県浜松市の株式会社Magic Shieldsが開発し、増え続ける高齢者の転倒骨折が大きな問題になっている医療や介護の分野で注目されている。代表取締役CEOの下村明司氏は大手バイクメーカー出身の技術者で発明家。「不慮の事故から人を守りたい」との思いから生み出された発明をビジネス化することで、ますます深刻化する超高齢社会の課題解決を目指している。
問題は転倒ではなく骨折だ 国際特許の「ころやわ」を開発
日本は、戦後の団塊世代が全て後期高齢者の年齢に達し、超高齢社会の時代を迎えている。それに伴い、病院や介護施設、養護老人ホームなど医療、福祉関係の施設ではお年寄りの転倒事故が増えており、国内で年間約100万人が何らかの要因で転倒し骨折しているともいわれる。
転倒して骨折したり、あるいはその恐れのある人をなるべく歩かせないようにすると、ますます体力が衰えて、場合によっては認知症につながるという悪循環の事例は少なくない。お年寄りばかりでなく誰でも転倒する可能性はある。それならば、転倒しても骨折しないような床材を設置すればいいのではないか。問題は転倒ではなく、骨折することだ。下村氏の発明は、このようなリスク回避における発想の転換だった。
骨折を防ぐために床をスポンジのような常に柔らかい素材にすれば、歩きにくいし、車いすも押しにくい。普段は硬く、転倒した時だけその衝撃を柔らかく吸収するマットや床の素材はないだろうか。機械工学に精通した発明家の下村氏が注目したのは「メカニカル・メタマテリアル」という特殊な性質を持つ人工材料だ。
紙コップは一つだけならもろいが、たくさん並べると人間が乗っても耐えられる。幾何形状の小さなマス目を連続して配置したシートは、面としては硬くて剛性があるが、点としては柔らかくへこみ、衝撃の力を吸収するという原理だ。普段は硬くて丈夫で歩きやすく、転んだ時だけ衝撃を受け取る部分が柔らかくなり、すぐに元に戻るという特性を持つ素材を追究して、下村氏は700種類以上も試作し、仲間の協力で1万回以上の転倒試験を繰り返したという。
そのような試行錯誤を経て、2019年11月に床材の内部に用いられる構造体の開発に成功し、特許を出願した。同月に株式会社Magic Shields(マジックシールズ)を設立し、2020年8月に商品名「ころやわPro27」の販売を開始した。文字通り「転んだ時だけ柔らかい」というこれまでにない床材だ。
衝撃をフローリングの半分に抑制 すでに千以上の施設に導入
このような不思議な特性を備えた「ころやわ」の材料は、エラストマーというゴムのような性質を持ちながらプラスチックのように成型加工ができる素材の一種。とはいっても、下村氏によると「一見、百均の店にも並んでいるような一般的な素材」だそうだ。構造には工夫を重ねても素材自体は低コストに抑えている。マットばかりでなく、室内全体のフロアに設置する場合は、短時間での内装工事も引き受けている。
 
人間が転倒した際にどのような衝撃があり、どの程度のけがをするかは、転び方や個人の健康状態などさまざまな要因が絡むため単純に計測することは難しいという。そこで可能な限り科学的なデータを得るために、マジックシールズは名古屋大学・藤田医科大学・東京医科歯科大学(現東京科学大学)との共同研究で「ころやわ」の衝撃吸収性能試験を行い、客観的な評価を求めた。それによると、一般的なフローリングの約半分、畳の3分の2程度の衝撃に抑えられることが分かった。
高齢者の転倒では大腿骨ばかりでなく、頭部への障がいの恐れもある。実証実験では、「ころやわ」を設置すると、保護帽を着用した場合と同じ程度まで脳や頭蓋骨の損傷リスクを低減できるという結果が出た。
実際に「ころやわ」を導入した施設で転倒による骨折は減らすことができているのか。マジックシールズは広島県内の11病院の協力を得て、計230床で、1年4カ月間検証した。その結果、「ころやわ」の上で転倒したケースが193回あったが、骨折はゼロだった。通常の床の場合は、2418回の転倒で63回の骨折事例があった。この検証結果から、医療や介護の現場での安全性が向上することが明らかになった。
この特性に着目して2020年、初めて「ころやわ」を導入したのは静岡県森町の公立森町病院だった。その後、資金調達して量産化に入り、2025年6月時点で全国千以上の医療機関や福祉施設に導入されている。この間、2021年度グッドデザイン賞を受賞し、2023年には日本転倒予防学会推奨品に認定されるなど、製品が周知されるとともに、その性能が高く評価されてきた。
さらに、2024年5月、OEM(相手先ブランドによる生産)でパナソニックが衝撃吸収フロアー「クラウドステージ」の生産、販売を始めるなど、マジックシールズの技術に大手企業も注目している。また、重量がかかることで離床したことを通知する機能を備えた「ころやわマットセンサー」の販売も始めた。そのような勢いで、今年中には1200施設への導入を見込んでいるという。
 
バイクの設計・開発に従事 「人を守る」が発想の原点
下村氏は横浜市出身。子どもの頃からものづくりが大好きだった。東京電機大学大学院でロボット工学を専攻し、6本の脚を持つ災害救助ロボットを製作した。世界的なバイクメーカーであるヤマハ発動機に就職し、部品が3万点にも上るバイクの設計や開発、デザイン部門での新規事業開発などに14年間携わった。
自らもオフロードのレースに参加するほどのバイク好きで、趣味が仕事に結びつくという幸せな会社員生活を送っていた。しかし、バイクレースは事故の危険が伴うスポーツだ。親しい同僚がレース中の事故で亡くなる悲しい出来事にも遭遇した。事故だけでなく、自然災害、戦争などのニュースに触れるに連れて「やりきれない思いが募った」という下村氏は、そのような不条理から身を守る「盾」になる発明を模索した。
そんな発明の一つが、豪雨のニュースを見て考えたという、風を盾にして雨を全て吹き飛ばすバイクだ。バイクの形状を工夫することで、ライダーを雨から守る風圧を作るといった仕組みだ。また、通学中の子どもの列に車が突っ込むニュースを見て、そのような時に子どもたちが自ら車に注意を向けるように、プロジェクションマッピングとスピーカーを車に搭載するアイデアも思いついた。制御不能となった車が自動的に音と光で周囲に危険を知らせるといったシステムだ。
このように下村氏は在職中からさまざまなアイデアを基に試作を続けていたが、コスト面などから事業に結びつけることができずにいた。「人を守るためのプロトタイプはできるのだが、それだけでは社会に役立てることはできなかった」と振り返る。
アイデアをビジネスにする 経営大学院での学びと出会い
「自分の思いと技術を社会に役立てるためには、ヒト、モノ、カネが回るビジネスとして成り立たせるスキルが必要だと痛感した」という下村氏は2016年、社会人を対象にした「グロービス経営大学院大学」の門をたたいた。中堅の技術者で、子どもが3人、住宅ローンも抱えていた一会社員にとっては一大決心だったが、「思いを志に向上させ、ビジネスにしていくための学びを得た」という。
そこでの2年間で会社員ばかりでなく救急医から僧侶まで異業種の人たちと出会い、社会のさまざまな課題を知るきっかけになったという。同窓生の中に後にマジックシールズのCOO(最高執行責任者)として共同創業者になる杉浦太紀氏がいた。総合病院の理学療法士である杉浦氏の話から、医療の現場では高齢者の転倒骨折が大きな問題であることを知った。バイク開発の技術者として衝撃を吸収する製品の研究をしてきた下村氏は「これこそ自分が解決すべき重要な社会課題だと直感した」という。
グロービスの同窓生ら6人がボランティアでチームを作り、事業開発のアイデアを出し合いいくつかの試作品を経て、「ころやわ」に結実した。大手都市銀行出身の宝田優子氏もCCO(最高顧客責任者)として役員になり、「人を守る」ことをビジネスとするスタートアップのマジックシールズが始動した。
 
何度転んでも立ち上がれる 盾になる技術を社会に実装
下村氏は、床材の市場は医療、介護に限っても国内で1兆円、欧米を含めると10兆円規模と試算している。マジックシールズは2021年に米国ノースカロライナ州に現地法人を設立し、海外進出への先駆けとしている。すでに海外10カ国の施設で利用実績があり、欧米を中心に10カ国のメディアで紹介されている。
米国ラスベガス市でのイベントでは、外国人に人気のある忍者の格好をして登場した。下村氏は「ころやわ」の開発に当たり、忍者が使用したといわれる、水面を歩くことができる円盤状の「水蜘蛛」を参考にしたこともあり、この硬くて柔らかい新素材を忍者のように跳んだり転んだりしながらアピールした。
「これまで人類は攻撃する矛の技術革新をしてきたが、盾はおざなりにされてきたのではないか」と語る下村氏。マジックシールズは「魔法の盾」だ。「何度転んでも立ち上がれる世界」を作ることをミッションに、衝撃吸収ばかりでなく防音、防振、断熱など利用分野が広がる新素材を世界に普及させることを目指している。
 
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