首都圏の駅前でおなじみの「日高屋」 ライバルは時代の変化

熱烈中華食堂 日高屋をメインとした飲食チェーンを首都圏中心に展開するハイデイ日高。1973年、1軒の小さなラーメン店からスタートし、50年で年商500億円超まで事業を拡大してきた。創業者であり現会長の神田正氏に、事業立ち上げからの歴史と成功の秘訣、そして今後の展望を聞いた。

神田 正(ハイデイ日高 代表取締役会長)

埼玉・大宮でラーメン店を開店
「屋台の代わり」で大きく成長

創業者の神田氏が親族3人で小さなラーメン店を出したのが、ハイデイ日高のはじまり。以降、ラーメンを主体にお酒、おつまみ、炒め物など多彩なメニューを揃え、日高屋のブランドで首都圏を中心に飲食チェーンを展開する。現在では、関東地方1都6県の駅前やロードサイドに454店舗を出店。庶民に広く愛され、各店舗あわせ1日18万人ほどが来店する、社会インフラのような存在となっている。

「1973年の創業当時、まさかラーメン屋が何百店舗も出して株式上場するなんて誰も思っていませんでした。ただ、私は『時代は変わる、この商売は面白い』と確信していました」と神田氏は振り返る。

同社の成長の大きなカギとなったのは、チェーン展開にいち早く取り組んだことだ。そのコンセプトは「屋台の代替」。1970~80年代、主要ターミナルである大宮・上野・新宿などには駅前に必ずラーメンやおでんの屋台があり、常に黒山のような人だかりができていた。神田氏は当時、「これらの屋台は今後、道路使用や衛生面の規制で消えていくだろう」と考えた。

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