古いものを活かす力で、社会を変える──"耐震補強"から始まるキーマンの構想

株式会社キーマン 代表取締役 片山寿夫氏
株式会社キーマン 代表取締役 片山寿夫氏

震災を契機に事業を継いだ男が見つめるのは、「壊す」から「活かす」への価値転換。補修・補強の専門家集団・キーマンが描くのは、老朽インフラと空きビルを"社会資源"として蘇らせる事業構想だ。耐震技術を軸にした再生ビジネスの広がりと、そこに込められた理念に迫る。

兄から託されたバトン──補修の現場から始まった経営の道

1995年の阪神・淡路大震災。現・株式会社キーマン代表取締役の片山寿夫氏は、当時電機関連の商社の社員をやめて、好きなアパレルの仕事をしようとしていた。まったく建設業とは縁のない分野にいたが、震災を機に兄が経営する補修補強事業に加わり、現場施工管理としてゼロからのスタートを切った。

「初めて任されたのは、倒壊した阪神高速の補修現場でした。当時はとにかくがむしゃらでしたが、振り返ると、建設現場管理って"自分で考え、判断し、責任を持つ"というマネジメントそのものだったんです」

建設業の現場管理では、たとえ1億円の工事でも現場施工管理責任者が社長のような裁量権を持つ。協力業者の手配から材料の発注、工程管理まで、すべてを自分で決断する必要がある。この経験が片山氏の経営者としての基盤を築いた。

商社という大企業では味わえない、「自分で考え、自分で決める」醍醐味。それは建設業界特有の魅力でもある。彼が携わった建設業とは「手足を動かす」仕事ではなく、「現場を動かす」経営そのものだった。

30年近く補修・補強工事に専念してきた経験から、片山氏は独自の経営哲学を築いた。「現場を知らずして、経営は成り立たない」。これは単なる精神論ではない。技術的な判断から営業戦略まで、すべてが現場の経験に基づいている。

「MBAで学ぶようなマネジメント論よりも、現場で培った経験の方がはるかに実践的です。お客様が何を求めているのか、どんな技術が必要なのか、それは現場でしか学べません」

この経営方針は、同社の人材育成にも反映されている。新卒社員であっても、入社1年目から小規模な現場を一人で任せる。もちろんサポート体制は整えているが、若いうちから裁量を持たせることで、圧倒的な成長を促している。

社会インフラを守る"補修補強"というミッション

キーマンの強みは、創業当初から一貫して「補修・補強」というニッチな領域に特化してきたことだ。新築を手がけないという選択は、当時は周囲から奇異に見られたが、結果として今では大きな強みとなった。

「古い構造物をどう活かすか。その技術が今、社会に求められています。高速道路や鉄道、公共インフラは建て直すことが難しく、補修しながら使い続けるしかない。ここに我々の技術が生きます」

日本が地震大国である限り、耐震補強というテーマが消えることはない。1995年の阪神・淡路大震災以降、「耐震補強」という言葉が一般化し、2013年の東京オリンピック決定を機に、さらに注目度が高まった。

東京都が耐震補強を実施していないホテルの公表を決定したのも、このタイミングだった。オリンピックという国際的なイベントを控え、建物の安全性への意識が社会全体で高まったのだ。

「みんなが安心できる建物を提供したい。地震が来ても大丈夫だと思える建物を作りたい」

この想いは、単なるビジネスを超えた社会的ミッションとして、同社の事業展開を支えている。

同社の技術力の源泉は、「現場での経験」にある。どんなに優秀な技術者でも、現場を知らなければ真の技術力は身につかない。

「建築学科出身でない社員も多いんです。文系出身の施工管理者もいれば、理系出身で現場での経験を通じて一級建築士を取得した社員もいます。大切なのは、現場で学ぶ姿勢です」

先輩から後輩への技術伝承は、単なる座学ではない。実際の現場で、失敗を重ねながら身につける生きた技術。これこそが、同社の競争優位の源泉なのだ。

危機からの再建──会社存続をかけた逆転劇

2010年代、キーマンは大きな危機に直面する。創業者が当時、社会的な責任が問われる局面に直面し、経営体制が揺らぎ、会社としても営業停止処分を受ける事態に。だがこのとき、片山氏がわずか半年前にM&Aしていた建設会社が"受け皿"となった。

「そのときに備えていたわけではないですが、まさに"運"と"準備"が噛み合った瞬間でした。埼玉に持っていた別会社に社員を全員出向させ、事業を継続させたんです」
この危機において特筆すべきは、社員の結束力だった。キーマンを離れた人材もいたが、残った社員のほぼ全員が会社を辞めなかった。

「企業は人である。これを痛感しました。技術も設備も大切ですが、最終的には人と人との信頼関係が会社を支えるんです」

この経験が、片山氏に経営者としての覚悟を芽生えさせた。同時に、「人を大切にする経営」の重要性を再確認することとなった。

危機を乗り越えた後、片山氏は本格的に経営者として会社を引き継ぐ決意を固める。それまでは東京支社の責任者として、現場に近い立場にいたが、会社全体の将来を見据えた戦略が必要だった。

「キーマンの現在地を確認し把握したとき、経営者として会社を次のステージに導くのは自分の役割だと思ったんです」

この覚悟が、現在の成長戦略へとつながっている。2024年6月期には、キーマン史上最高の売上と利益を達成した。

新規事業「REDO」──老朽建物を再生し、新たな価値へ

こうした技術と信頼を背景に、キーマンは次の構想へと踏み出す。旧耐震ビルを補強し、用途変更やリノベーションを施すことで「新築以上に稼げる物件」に生まれ変わらせるプロジェクト「REDO(リド)」だ。

その象徴が、神保町で手がけた空きビル再生プロジェクト。築49年の老朽化したビルを2019年に取得し、2023年7月に「REDO JIMBOCHO」としてオープンした。

建物の構造計算から始まり、塔屋と受水槽を撤去する「減築工事」により、室内の既存柱補強のみというシンプルな補強方法を実現。費用を抑えながら、建物の外観を変えることなく耐震性能を向上させた。

「REDO は、単なる建築ではなく、社会課題への解法です。放置されていたビルや空き家を、補強+リノベ+用途提案で循環させる。このモデルを全国に広げたいと思っています」

このプロジェクトの特徴は、建築・不動産・デザインなど、多分野の専門家とのコラボレーションにある。キーマン単独では実現できない、総合的な価値創造を可能にした。

「我々は耐震補強の専門家ですが、デザインや不動産運用については素人です。だからこそ、各分野のプロフェッショナルとチームを組む必要があったんです」

月2〜3回の定例会を重ね、「シェア」をテーマに据えた複合施設として結実。1階のインキュベーション型レストラン「10COUNTER」では、2年間限定で若手シェフの独立支援を行っている。2階にイベント&レンタルスペース、3〜5階にシェアハウスを配置し、建物の"社会的再活用"と"収益化"を両立させている。

REDOプロジェクトは、単なる不動産事業にとどまらない。空き家問題、相続放棄された物件の活用、循環型社会の実現など、複数の社会課題に対する具体的な解決策を提示している。

「神保町のビルも、元々は相続で受け継いだ娘さんが、どうしていいか分からず困っていた物件でした。こうしたケースは全国にたくさんあるんです」

日本的思想を現代へ──「残す」「活かす」文化をビジネスに

片山氏の構想には、「壊す文化から、活かす文化へ」という明確なメッセージがある。建築において"スクラップ&ビルド"が当たり前だった日本で、「残すことの価値」を再定義しているのだ。

「海外では、100年超の建物の方が価値があることも多い。日本の建築文化も、もともとは寺社仏閣のように"維持しながら使う"思想があったはずなんです」

この思想の転換は、サステナブルな社会の実現にも直結している。新築需要が減少する中、既存ストックをいかに活用するかが、建設業界の重要な課題となっている。

同社の強みは、「セカンドオピニオン」としての技術力にある。他社で5億円と見積もられた耐震補強工事を、2億円で実現したケースもある。

「設計事務所によって、考え方が全然違うんです。過剰設計になっているケースも多く、現場を知っている我々だからこそ、コストを抑えた最適解を提案できます」

神保町のプロジェクトでも、当初必要とされていた大規模な耐震補強を、屋上の塔屋を壊してビルを軽量化するという発想で大幅にコストダウンした。「お腹が重い人が、食べ物を減らして軽くなる」という分かりやすい例えで、建築の減築という概念を説明する。

営業戦略の転換──技術力を軸とした顧客開拓

同社の営業体制も、従来の建設業とは一線を画している。営業マンは実質1人しかおらず、基本的には現場担当者がリピート受注を獲得するスタイル。

「営業マンが技術を知らずに仕事を取ってきても、結局は現場でトラブルになります。技術を理解した営業、現場を知った営業が必要なんです」

さらに、片山氏自身が取り組んでいるのが「イベント型営業」だ。セミナーやイベントへの参加を通じて、見込み客と出会う仕組みを構築している。

従来の訪問営業では、営業マンが一方的に売り込みを行うケースが多い。しかし、同社のアプローチは「お客様の課題解決」に特化している。

「耐震診断の結果、予算オーバーで困っているお客様がほとんどです。我々は、いかに予算内で安全性を確保するかを考える。これが真の営業だと思っています」

若手育成と人材戦略──"現場から学ぶ"経営哲学

キーマンの根底に流れるのは「現場からすべてが始まる」という考え方だ。

「うちは新卒でも小規模現場を一人で任せます。もちろんサポートはしますが、若いうちに裁量を持つことで圧倒的に成長する。僕自身がそうでしたから」

実際にゼネコンから転職してきた若手が「今の方が成長実感がある」と語ることも多いという。大手企業では、若手は補助的な業務に従事することが多いが、同社では最初から責任あるポジションを任される。

「大手では、若手は監督の補助のような仕事しかできません。でも、うちでは小さくても一つの現場を任せる。そのやりがいが、成長につながるんです」

この人材育成方針は、単なる教育システムではない。自社に必要な"構想人材"を自ら育てる戦略的な取り組みなのだ。

グローバル展開への構想──日本の技術を世界へ

片山氏の構想は、国内にとどまらない。日本の耐震技術を世界に展開する可能性を見据えている。

「今、海外の途上国でもインフラが続々と建設されています。これらが30年、50年後に老朽化した時、補修技術が必要になります」

サンフランシスコの橋梁補強でも、日本の技術が採用されている。地震対策という点で、日本の技術は世界でも注目されている。

「僕が社長の時代には難しいかもしれませんが、将来的には海外展開も視野に入れています。日本の耐震技術は、世界に誇れる技術です」

補修で社会を再構築する未来へ

今後も補修・補強市場の需要は高まる。老朽化する都市インフラ、増え続ける空き家、減少する新築需要──これらの課題の先にあるのは、「残し、活かす」という発想だ。

「建設業をもっと"かっこよく"したい。若い人に選ばれる産業に変えていきたいんです」

その言葉どおり、キーマンの技術と構想は、単なる補修にとどまらない。「社会を守る建設業」から、「未来をつくる建設業」へ。補修の可能性を広げる挑戦は、すでに始まっている。

神保町の「REDO JIMBOCHO」は、2024年グッドデザイン賞ベスト100に選出された。これは、単なる建築評価ではない。社会課題解決への取り組みが、デザインとしても評価された証拠だ。

全国に広がる空き家、老朽化するインフラ、そして新しい価値創造への渇望。これらすべてに応える「活かす力」が、今まさに求められている。キーマンの挑戦は、その先駆けとなるだろう。

片山氏は最後にこう語る。「この仕事は、絶対になくならない。高速道路も、今建てているものも30年後、50年後には古くなる。常に補修し続けるという、すごく魅力的な未来のある仕事だと思っています」

古いものを活かし、新たな価値を創造する。その技術と思想が、日本の建設業界に新しい風を吹き込んでいる。