業界の「黒い不文律」を取り除き急成長 葬儀業界の革命児

1997年の設立以来、名古屋から中部、関西、関東へと事業展開を進めてきたティア。2021年2月現在で「葬儀会館TEAR」は直営とフランチャイズを合わせて128店舗、年間葬儀件数約16,000件の規模まで成長を遂げた。冨安徳久社長が、経営の極意と人財育成に対する想いを語った。

冨安 徳久 ティア 代表取締役社長

"理"を学べる葬儀業の
黒い不文律を取り除きたい

生前の葬儀費用の見積りや適正価格の公開といった顧客本位のサービスを徹底し、業界の革命児とも称されるティアの冨安徳久社長。葬儀業に足を踏み入れるきっかけは、大学入学を控えた春休みに高い時給に惹かれて始めたアルバイトだったという。

「ある葬儀の後、集金に向かう社員さんに同行したとき、ご遺族が涙ながらに『ありがとう』と頭を下げておられる姿を見て、こんなに人に感謝される仕事があるのかと感銘を受けました。祖父母や両親から、『人のために生きなさい』と教えられ、中学のときに『竜馬がゆく』を読破した私が"天命と呼ぶ一生の仕事"を見つけた瞬間でした」

大学進学をやめて、まずは山口県の葬儀社に就職。仕事を通じて死生観を学び、葬儀業に誇りをもって携わる先輩たちから、摂理、道理、心理、条理に従がって生きることを教わった。3年半後に父親の体調不良を機に愛知に戻ると地元の葬儀会社へと転職。だが、25歳で店長に昇進した頃から、遺族のために尽くさず、業界全体のブラックボックス化した料金体系や、社会からの偏見について疑問を抱くように。

「事前に価格を開示することが『不謹慎』とタブー視された結果、悲しみにくれるご遺族の気持ちにつけ込んで、押し売りするような、消費者不在の業界価格という暴利を得られる仕組みがまかり通っていたのです」

その後、裕福な人にも困窮した人にも等しく訪れる死だからこそ、予算に合わせた葬儀プランが必要だと上層部に訴えたが、「遺族の家の門構えと自家用車を見て、職業を聞いてから価格を決める」「生活保護者の葬儀は断れ」といった経営方針が撤回されることはなかった。会議の場で、たった一人だけ反対を唱えて席を立った冨安氏は、独立の覚悟を家族に伝えて、1990年に30歳で退職。別の老舗葬儀社で病院専門営業の契約社員として働きながら、起業に必要な資金を貯め、異業種交流会などで人脈を広げていった。

葬儀費用の明瞭化などを進め、葬儀業のイメージを一新した

"志"で支援の心を動かす

当時の葬儀業界は典型的な"装置型産業"で、葬儀会館を建てなければ勝負にならないというのが常識だった。

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