我が道を貫き、トレンドを創る そば焼酎を生んだ雲海酒造の哲学
焼酎王国宮崎県でも屈指の規模を誇る雲海酒造。後発メーカーゆえの差別化策として生み出したそば焼酎で、全国に知られている。マーケティングでも独自の戦略をとり、新市場を切り拓いてきた。
従業員8人からのスタート
雲海酒造は本格そば焼酎「雲海」など、オンリーワンの商品づくりで全国に知られる焼酎メーカーだ。創業は1967年と焼酎王国宮崎県内でも後発メーカーである。
「はじまりは小さな山奥の酒蔵からでした」と話すのは、代表取締役社長の中島美幸氏。東京大学を卒業後、第一勧銀勤務を経て雲海酒造に入社。九州中央山地の山懐にある五ヶ瀬町で酒造会社が創業したときは、自らは6歳だった。創業当時は、家内制手工業で従業員は8人。周辺地域の西臼杵地区だけでも大小20弱の酒蔵があり、粟や稗などの雑穀を使った焼酎が一般的だった。
「他所と同じものを造っていては勝てない」ということで生み出したのが、身近な「そば」を原料にした焼酎。まだ焼畑農法でのそば栽培が行なわれていた頃、世界でも初めてとなる「そば焼酎造り」に着手した。試行錯誤の末、そば焼酎は熟成させると甘味が増すことを発見。販売と同時に評判は上々で一躍大ヒットとなった。近くの津花峠から天孫降臨の地高千穂に向かって現れる神々しい風景「雲海」を銘柄にし、地域で広く知れわたることになる。
新しい飲み方を提案し、全国区へ
「雲海」のヒットにより、高千穂地域はそば焼酎の一大産地というイメージが定着するが、時を同じくして第一次焼酎ブームが巻き起こる。薩摩の芋焼酎による「6:4(ろくよん)」のお湯割り宣伝が火付け役となり、全国に広がったのである。
「当時は、地元西臼杵地区からより大きな市場を求めて、九州一の都市、福岡に向けて営業活動を行いました」。五ヶ瀬町は宮崎県にありながら、当時は宮崎市まで7時間。しかし、熊本市までは2時間半と、市場は完全に他県であり、さらに九州自動車道を使えば、九州一の都市福岡にすぐ辿り着く。
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