グローバルニッチを目指す
世界的に評価の高い製品を生み出しているCerevoとユビキタスエンターテインメント。共通するのは、初めから海外展開を意識して創業したことだ。両社のCEO、岩佐琢磨氏と清水亮氏に、グローバル戦略のポイントを聞いた。
海外売上高が5割を占めるネットワーク家電ベンチャー・Cerevo代表の岩佐琢磨氏と、手書きタブレット「enchantMOON」で世界の注目を集めるユビキタスエンターテインメント代表の清水亮氏は、ともに創業時から海外市場を視野に捉えていたという。
ボーングローバル企業として世界を舞台に勝負をかける2人は、いつから海外市場を意識し、どんな思いで経営に臨んでいるのだろうか。
海外との出会いはパソコン
実感した世界との距離
清水 最初に海外を意識したのは、18歳で新潟の長岡市から上京したときですね。東京の書店でコンピューターに関する洋書を読んだら日本にはない情報がたくさん載っていて、レベルの高さに衝撃を受けました。当時、日本の情報は30年遅れていた。
岩佐 僕は中学生のときに初めてインターネットに触れて、海外ってすごい! と思いまいた。ミリタリーマニアだったので、ネットでいろいろ調べてみたら、日本では高額の洋書にしか載っていないようなレアな情報がタダで公開されていた。たくさんプリントアウトして持って帰りました(笑)。
清水 子どもにとって、そういうのは宝物ですよね。僕は大学のときのアルバイト先がコスモポリタンな場所で、当時、メガデモ(コンピューターで制作した映像作品)を作っていたフィンランド人やスロベニア人と一緒に、ゲームを作っていました。彼らは子どもの頃から英語の本を読んでいて、日本では知られていない知識を持っていて、宇宙人と話しているような気がした。「置いてきぼりにされる!」と強く感じて、ウェブ日記に「アメリカで働きたい」と書いたところ、アメリカのマイクロソフトから「働きませんか」と電話がきました。20歳で渡米したのですが、現地でMSNメッセンジャーを作っている人と一緒に仕事をできたのは、大きな経験でしたね。
岩佐 僕は会社を作るまで海外で働いた経験はないですが、日常的にインターネットを使うようになって思ったのは、「世界は狭い」ということ。ミリタリーにしても、日本にはない情報がある海外は別世界だと思っていましたが、掲示板やホームページを見ると、海外の人たちも僕とマニア仲間の会話と同じような話をしている。それを知って、世界との距離の近さを感じました。
2人の起業のきっかけ
創業時から海外志向
清水 僕はマイクロソフトで新しいゲーム機向けのOSを作る仕事をした後、日本のドワンゴの携帯電話事業を立ち上げて、その後、アメリカのドワンゴで働いていました。そこでコンテント開発担当副社長になったのですが、アメリカ人って本当に働かない(笑)。言い訳ばかりで仕事は進まないし、当時はネット回線の速度も遅かった。それで日本のほうがましだと思って、帰国して2003年、26歳で起業しました。そのときから、「いつかアメリカのマーケットにリバイバルしよう」と思っていましたね。
岩佐 なるほど。僕は清水さんが起業した03年に松下電器産業(現パナソニック)に入社して、07年、29歳で独立しました。起業したときから、中国で作って海外で売ることを考えていましたね。そうしないと勝負できないと思っていました。ただ、いきなり海外展開は難しいので、当初は中国で作って日本で売る、次に海外に出て行こうと思っていました。
とにかく、世界の工場、中国で作ることにこだわりましたね。そうしないと絶対に勝てるものができないというイメージがあった。今振り返るといろいろ大変だったので日本で作れば良かったと思いますが、そのノウハウが今も活きているので、結果論として良かったです。
清水 中国を意識したのは製造業だから?
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