昔ながらの醤油づくりにこだわる弓削多醤油 海外への販売も好調に拡大

(※本記事は「関東経済産業局 公式note」に2024年9月24日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

経営者の情熱を発信する “Project CHAIN”。今回は埼玉県坂戸市の弓削多醤油株式会社代表取締役の弓削多洋一さんです。昨年2023年に創業100年を迎えた弓削多醤油株式会社。国産の丸大豆、小麦、天日塩を原材料に使用し、昔ながらの木桶で天然醸造した同社の醤油は格別にまろやかで深みのある味わいです。醤油を製造しているメーカーは全国に約1,000社存在していますが、その多くがタンクで醤油を製造しており、木桶で天然醸造を行っているのは全国にたった100社しかないそうです。昔ながらの醤油づくりの技を守る弓削多社長。とても誠実なお人柄の源に迫りました。

うそのない醤油づくりの原点

醤油を作っている様子
弓削多醤油株式会社HPより写真引用

――弓削多醤油株式会社の醤油には徹底したこだわりを感じますが、こだわりを持つようになったきっかけを教えてください。

実は私は先代である父から醤油づくりを引き継ぐことができませんでした。醤油づくりは周りの方々の助けを借りながら自力で勉強しました。わが社の醤油づくりは初代の祖父が発酵に関心を持ち、ご縁があって醤油蔵をまるごと譲り受けたのが始まりです。醤油づくりは細々とやっていて、実態は食品の産地問屋でした。3代目である父の時代、私は会社を継ぐために入社しましたが、入社してからは問屋業専任でした。しかし、今後コンビニの時代が来ることを予測し、産地問屋を続けるより、醤油づくりに専念し付加価値の高い醤油を売った方が会社のためになるのでは?と考えるようになりました。そこで父と相談し、今の日高市に日高工場を新築し、醤油づくりに舵を切りました。

「醤遊王国」の外観

しかし工場稼働開始の直前、私の父が4mもの高さの醤油醸造タンクから転落し、大怪我をしてしまいました。事故後3か月は徐々に回復の兆しがあり、父から会社のことを聞くことができましたが、醤油づくりは「技」ですから話を聞いただけでは到底「技」を引き継ぐことはできません。さらに治療中別の病気も併発し、父は話すことすら出来なくなってしまいました。

そこで埼玉県食品工業試験場(現・埼玉県産業技術総合センター北部研究所)にいる醤油づくりの先生に相談し、その先生のもとへ半年間通い、一から醤油づくりを学ぶことにしました。昔は「丸大豆醤油」といって、大豆を贅沢に丸ごと使う醤油づくりが一般的でしたが、時代の流れで脱脂加工大豆という大豆から油を取り除いたものを使うようになり、丸大豆醤油づくりの技術は失われてしまっていました。しかしせっかくわが社には伝統の木桶がありますので、昔ながらのやり方を取り入れ付加価値を付けた醤油づくりを行いたいと思ったのです。

丸大豆醤油は、埼玉県食品工業試験場(現・埼玉県産業技術総合センター北部研究所)と埼玉醤油工業協同組合が共同で研究し、全国に先駆けて埼玉県が復活させた付加価値のある醤油でした。父の時代から弊社も作っており、なんとか丸大豆醤油づくりを繋ぎたいと思ったのです。醤油づくりを学びながら、社長として営業や事務もやらなければいけませんでした。本当にわけがわからない状態で半年過ごしましたが、自分がやるしかない、その覚悟で乗り越えてきました。

醤油になる種麹
大豆、小麦を加工し、種麴を混ぜて麴をつくる

木桶で発酵・熟成させている様子
麴に塩と水を加えてもろみをつくり、木桶で発酵・熟成させる

――自分がやるしかない、その仕事へのモチベーションはどこから湧いてくるのでしょうか。

モチベーションというより、家訓の体現でしょうか。弓削多家には「商売に羽織を着せろ」という家訓があります。先代の父からは羽織が外出する際のお洒落着だったことから、私生活は質素に、でも商売は派手にやれという意味だと聞きました。しかし先代の父が怪我をした際、先々代の伯父に色々と会社のことを教えてもらう機会があったのですが、伯父からは昔は羽織が正装だったことから、襟を正してお客様に向き合うようにという意味だと聞きました。なんと家訓の解釈が2つあることが判明したのです。

では私自身はどう捉えているか?というと、うそをつかない、正直な商売を大切にしていきたいと考えています。この想いがあるからこそ、原材料にも製造方法にもこだわった、うそのない醤油づくりに突き動かされてきたのかもしれません。

生醬油を搾っている様子
1年以上熟成したもろみを少しずつ風呂敷にあけ、もろみから生醤油を搾る

醤油を世界共通の調味料に

――御社の醤油は海外でも愛されていると伺いました。どのような想いで輸出をはじめたのでしょうか?

日本食ブームの影響で海外でも醤油は親しまれています。家庭用の醤油瓶をそのまま販売するというよりは、お寿司屋さんやレストランで使われているイメージです。例えばアメリカは肉料理が主役です。肉に合わせるわさび醤油ソースの原料や、下味をつける目的でわが社の醤油が選ばれています。日本国内では醤油の消費量が年々減っている現実があります。わが社の場合、海外への売上は年々拡大し、今年は昨年の8倍も海外の売上が出ています。醤油が調味料として当たり前になることは、わが社の伝統の醤油づくりを守ることにも繋がると考えているので、海外展開に積極的に取り組んでいます。

また、わが社だけでなく、井上スパイス工業株式会社ほか、輸出拡大に向けて同じ志を持つ埼玉県に拠点を持つ食品加工会社8社でコンソーシアムを設立しました。海外に商品を知ってもらうためには、海外のバイヤーを招待することや、展示会への出展が重要になってきます。1つの会社だけでこれを行うことはなかなか労力がかかりますし、負担する金額もネックになってしまい、やりたくてもできないということがあります。8社で連携することでこのハードルを下げることができると考えています。

――海外でも醤油が定着しつつあるのですね!

木桶で醤油を作るクラフト感は海外の方からも非常に関心が高いと感じます。わが社の醤遊王国本店日高工場では常時工場見学ができます。お客様には海外のお客様もおり、個人のお客様もいれば海外のレストラン関係者や海外で醤油を作る製造会社の方もいらっしゃいます。
なかには海外でしか収穫できない豆を原料に醤油を作ってみたので味を見てくれないか?と試作品を持ってきてくださる方もいらっしゃいます。実際に味見したのですが、これがなかなか美味しいのですよ!これは海外でも醤油が定着してきたからこそ生まれるおもしろさだと感じています。

醬遊王国本店日高工場内にある百年蔵の外観
醤遊王国本店日高工場内にある百年蔵

醬油ソフトの写真
醤遊王国の名物醤油ソフトもいただけます!

この先の100年に想いを託して

――昨年御社は創業100周年を迎えましたが、今後の弓削多社長の展望を教えてください。

100周年を迎えるにあたって、新しい木桶を作りました。この木桶は今年の3月に竣工した「百年蔵」に並んでいます。木桶は100年使えると言われており、100周年という節目に木桶を作ることで、100年先にも木桶の醤油づくりを繋いでいきたいという想いをのせています。私は木桶職人復活プロジェクトという木桶職人、木桶で醤油づくりをしている仲間の会社、木桶醤油にほれ込んだ料理人が参加するプロジェクトのメンバーです。新しい木桶づくりと百年蔵の竣工にはこのプロジェクトの仲間たちが惜しみなく力を貸してくれました。仲間の存在はこれからも大切にしていきたいと思います。新しい木桶と百年蔵とともに、100年先もわが社がこの木桶とこだわりの製法を守っていけるよう、邁進していきたいと思います。

新しい木桶に弓削多醬油の弓印が刻まれている様子
新しい木桶。弓削多醤油の弓印が木桶に刻まれている

笑う弓削多社長
百年蔵の前で爽やかな笑顔の弓削多社長

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関東経済産業局 公式note