第三者承継でシステムエンジニアから農家へ スマート農業にも興味
(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第32号<2024年8月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
埼玉県熊谷市において50年以上農業を営んできた井田文雄氏が、新規就農者である高橋秀征氏に事業を引き継いだ。行政やJAグループなどが経営の円滑な立ち上げを支援し、資産や技術、ノウハウを次世代につないだ第三者承継の現場と高橋氏の想いを取材した。
偶然の出会いをきっかけに約3年半かけて事業承継
大学を卒業後、都心のIT関連企業でソフトウエア開発に従事してきたシステムエンジニア(以下SE)と、先祖代々の農地で地域農業をけん引してきたベテラン農家。彼らが出会ったのは、2019年9月のことだった。
「通りがかりにふと、近所の田んぼで見知らぬ若い人が働いているのに気が付きました。誰だろうと声を掛けたところ『就農を志して義父母の畑で農作業を勉強しに来ている』というのです。珍しい人だと思う一方で、熱心な働きぶりに、もしかしたら…という予感がありました」。そう語るのは、埼玉県北部の熊谷市で、50年以上専業農家を営んできた井田文雄氏だ。
その隣で「当時は50歳目前ですから、そんなに若くもないんですよ」と苦笑するのは高橋秀征氏。偶然の出会いから約3年半後の2023年3月、2人は第三者承継について合意した。
高橋氏の義実家と井田氏の農地の合わせて約10ヘクタールと農機に加えて、井田氏が長年にわたって蓄積してきたノウハウや取引先を引き継いで、高橋氏は農業経営者として第二の人生を歩みだした。
土壌と水に恵まれた地 それでも後継者は足りない
この第三者承継の舞台となった熊谷市は、埼玉・群馬の県境に位置する。市全域が関東平野内にあり内陸性の太平洋側気候と、秩父山地からの気流によって発生するフェーン現象の影響で寒暖差が激しく、夏は日本屈指の暑い街としても有名だ。
農地があるのは、市のほぼ中央部にあたる
首都圏の大消費地に近く、代々の農家も多いこの地区においても、高齢化と後継者不足は深刻な課題だ。近年、井田氏が耕作してきた田畑の半分以上は、後継者がいない農家から「遊休農地にならないよう、耕作を続けてほしい」と託された土地だという。
「遊休農地は税金面での負担に加え、土地が荒れて資産価値や美観が下がってしまう。それを防ぐため、知人の田畑を借り受けて耕作してきました。
しかし自分も70歳を過ぎ、子どもたちに農業を継ぐ意思はない。そこで、熊谷市内にある県の農業支援機関である埼玉県大里農林振興センターに問い合わせてみたところ、第三者承継という手段もあると教えてくれたのです」(井田氏)
とはいえ、この相談がすぐに高橋氏への承継につながったわけではない。井田氏が後継者に関する相談をしたのは2018年で、以降、何件かの問い合わせがあり、候補者とは面談もしたという。
それでも「この人に託したい」という決め手がないまま、翌2019年、2人は出会うことになる。
広い田畑を効率良く 省力化農業の師弟となって
「どちらも理系だったからでしょうか。どういう訳か、すぐに意気投合したんです」と、井田氏は高橋氏と知り合った頃を振り返る。
高橋氏も義父母を通じて、隣人であり地域の営農組合長でもある井田氏の評判は耳にしていた。
「義実家は、いわゆる昔ながらの農家でした。私は長年SEとして勤務していましたが、学生時代には野球をやっていて体力には自信があったし、以前から時々手伝いに来ていたので、多少は農業の経験もあるつもりでした。
それで、自然の中で汗をかいて働くのもいいな…などと考えていたわけですが、改めて農家の仕事は大変だと痛感していたとき、井田さんが声を掛けてくれたのです」(高橋氏)
井田氏の耕作面積は、高橋氏の義実家の田畑に比べると大きいが、彼はその広い田畑をたった1人で維持していた。
規模が違うため農機などの設備は異なるが、井田氏は長年の創意工夫で、省力化を進めてきたという。そのノウハウに、高橋氏は興味を抱いた。
現代の水稲は耕起や田植え、収穫などの大掛かりな工程は、トラクターや田植機などの農機でできるようになっているが、それ以外にも、さまざまな作業がある。
例えば、育苗箱への種まきや苗の植え付けなどは足腰への負担も大きい。収穫物を脱穀倉庫に搬入したり、納品のためにトラックに積むのも重労働だ。
「わが家は妻が別の仕事に就いているのもあって、基本的になんでも1人でやってきました。
さらに年々託される耕作地が増えていったこともあり、それでも1人で営農できるようにと、いろいろな道具や機材を自作して対応してきた訳です」(井田氏)
こうした井田氏のバイタリティーや柔軟性に、SEとして業務効率化に取り組んできた高橋氏は関心を持った。
そして経験は浅いながら、熱心に農業を学ぼうとする高橋氏の
もともと親しく付き合ってきた義父母を通じ、井田氏が高橋氏に事業承継を打診したのは、出会ってからわずか1カ月後のことだったという。
オンオフを切り替え効率的に働く 変わる農家のイメージ
高橋氏が農業に心引かれるようになった背景には、SEという仕事への迷いがあった。
約30年勤めた会社がM&Aによって別会社の傘下に入り、就業環境が激変。「このまま仕事を続けられるだろうか。一生悔いなく打ち込める仕事だろうか」と、高橋氏が迷いを抱くようになったタイミングと、後継者がいない義実家と井田氏の事情が重なったのだ。
会社員から農家へ、覚悟を決めての転身となったが、井田氏という師を得たことで、高橋氏の農業へのイメージや実生活は、大きく変わることになる。
「私は現在、さいたま市にある自宅から熊谷市に通っています。麦の収穫と田植えが続く農繁期は、義実家に泊まりこむこともありますが、普段の労働時間は朝9時から夕方5時で週休二日。正直、SE時代よりずっと健康的な生活です」と、高橋氏は満足げだ。
この〝週休二日・朝9時から夕方5時まで〟という働き方も「所有する田畑を、その労働時間内で耕作できるよう、常に効率化・省力化を考えてきた」という井田氏の指導のたまもの。かつての「農家といえば、農閑期以外は休みなし」という時代を経験してきたからこその知見を、井田氏は高橋氏に惜しみなく伝えている。
「農業はきついと思われているから後継者が不足している。でもまだまだ工夫のしようはありますよ。農機もどんどん進化しているし、最近ではドローンなんかも活用されているでしょう」(井田氏)
「本当に柔軟な方です。最初はおっかなびっくりだった大型農機の扱いも、おもちゃだと思って何回でもいじってこつをつかめとアドバイスしてくれました。最近はAIや情報機器を利用したスマート農業に興味津々です」(高橋氏)
年齢もキャリアも違う師弟だが、息はぴったりのようだ。
新規就農の後継者を関係機関が総力支援
幸運にもよい縁を得たものの、事業承継の進め方や手続きが分からなかった2人は、2020年に改めて埼玉県大里農林振興センターに相談を持ち込む。そこで同センターから、新規就農者を支援する国の助成制度を紹介されたことで、具体的な承継計画が立った。
井田氏は農林水産省の「農の雇用事業」制度を活用し、2020年から2年間、高橋氏を雇用することで、高橋氏は全国農業会議所による研修や井田氏の指導によりじっくりと農業を学べることになったのだ。
また井田氏は、大型農機に加え、自身が開発した省力化機器なども、高橋氏に格安で譲渡している。こうした設備機器に初期投資がかさむことが、農家の承継を妨げていることをよく知っていたからだ。併せて、付き合いの長い取引先や相談先にも積極的に紹介し、後を託す高橋氏のスタートを後押ししてきた。
「農地については今のところ借り受けという形ですが、いずれは譲り受け、拡大も検討したいと考えています。他にも、埼玉県大里農林振興センターやJAくまがやの職員が田畑の様子を見て最新の栽培管理技術を教えてくださり、地域ぐるみでの伴走支援をいただきました」(高橋氏)
経験豊富な師匠と、地元の関係機関の期待を浴び、新規就農者向けの助成や支援をフル活用しながら、高橋氏は成長していく。
かくして出会って約3年半後の2023年3月、井田氏と高橋氏の「主穀経営の第三者経営継承に係る合意書」が、めぬま農業研修センターで取り交わされた。立会人となったのは、埼玉県大里農林振興センター、熊谷市、JAくまがやの3機関。熊谷市で3組目となる農業分野の第三者承継が、ここに実を結んだ。
「まだスタート地点に立ったばかりですが、多方面からのご支援で新規就農のハードルを下げてもらえました。今年からは若手の農業経営者が集う『JAくまがやアグリユース』や、第一次産業に従事する地元の人による『妻沼農業青年会議』にも加入して、交流や情報交換に励んでいます」とうれしそうな高橋氏に、井田氏が「そうそう。うまくやってるところがあったら見に行って、どんどん参考にすればいい」と声を掛ける。
時代に合わせて進化してきたベテラン農家と、異業種から果敢に農業の世界へ飛び込んだ後継者。有形の財産と共に、無形のノウハウや人とのつながりも受け継ぎ、地域を盛り上げていく。
元記事へのリンクはこちら
- 日本公庫つなぐ