タケマン 独自のメンマで市場開拓、事業構想でさらなる進化へ

メンマはラーメンの定番具材として親しまれているが、既存の商品とは一線を画すメンマを生み出したのが株式会社タケマンの創業者 吉野秋彦氏だ。いかにしてその強いこだわりを事業として成立させたのか、吉野氏の構想を聞いた。

吉野 秋彦
タケマン代表取締役会長
事業構想修士(福岡校4期生/2022年度修了)

トッピング一つにも
こだわり抜く世界

いまや国民食と言われるラーメン。愛好家のブログや動画サイトは百花繚乱で、市中には多数のラーメン店がひしめき、市場では二極化が進んでいる。一方は誰もが手軽に楽しめるリーズナブルなもの、もう一方はこだわりが詰まったハイエンドなもの。当然価格帯も異なり、後者は1杯1000円超えが主流だ。

「本気でメンマを作っている会社です」というコンセプトを打ち出すタケマンのメンマは後者のこだわりのお店に支持されている。吉野氏によれば、レビューサイトのラーメン店ランキングで全国TOP20のうち10件が、東京TOP20のうち12件が、タケマンのメンマを使用している。また、有名グルメガイドの星獲得店やビブグルマン認定店にも顧客は多い。

タケマン製のメンマ

「一般的な業務用メンマは調味済みで、お店では出来上がったラーメンにのせるだけでよいので、扱いが楽です。当社のメンマはその真逆。お店での下処理や味付けに手間がかかりますが、自店のラーメンに合わせて味や硬さを自在に仕上げられるので、1つひとつの素材にこだわるようなお店に選ばれています。これはどちらのメンマが良いか悪いかという話ではなく、考え方の違いであり、大切なことはマッチングだと思っています」

ラーメンはスープと麺と具材からなるシンプルな構成ながら、その組み合わせは無限で、作り方にも多様な方法論があるが、仕入れや仕込みの苦労は出来上がった丼からはなかなか見えてこない。吉野氏は「メンマにこだわるとお店の評価が上がるわけではなく、メンマ1つにも妥協しないこだわりの姿勢がラーメンの美味しさにつながっている」と言う。

中国の山間部で考えた
自ら起業し事業を興す道

メンマは麺類の「メン」と、原材料である麻竹の「マ」を組み合わせた日本生まれの俗語だという。麻竹の主な生育地は台湾や中国南地方で、日本で流通するメンマの多くはそれらの産地から輸入されている。

吉野氏は20歳のとき、父親が経営する食品会社に就職し、メンマの加工場がある中国に赴任した。職務には抵抗がなかったが、山小屋のような環境で職住接近の日々は楽ではない。竹を伐採しては皮をむき、蒸して発酵させて天日干しし、それをお湯で戻してから塩漬けにして袋に詰める。食卓に上るメンマはそこからさらに調味したものだ。

「当時は数量・納期・値段の3つが最優先でした。自分たちでは良いモノを作ろうというプライドを持って仕事をしていたのですが、商談に臨むと値段など条件の話ばかりです。そのうち、もっと中身で勝負したいと思うようになり、自分で事業を興すことを決めました」

父親の会社とは競合関係になるが、吉野氏は大胆にも父親に技術顧問就任を依頼する。「自分から辞めておいてなんだ」と言われたそうだが、そこには家族の絆がある。吉野氏は経験豊富な父親から技術的なサポートを受けられることになった。

2013年9月に会社を設立し、翌年に倉庫兼加工場を借りたが、大きな誤算があった。メンマの加工に水は必須であるにもかかわらず、その物件は排水設備が整っていなかったのだ。もはや物件を借り直す余裕はなく、排水せずにできる加工法に知恵を絞った。

福岡県糸島市にある自社工場

「いくつか失敗を重ねましたが、乾燥メンマと水を袋に入れて加熱した商品が塩漬けでも水煮でも味付けでもないメンマとして話題を呼びました。そこから業績が上向いたので、排水ができる工場に移転することができました」

その後も売上は順調に伸びていく。材料や製造へのこだわりはますます強くなり、ラーメン店からの引き合いが増え、マスコミにも注目された。その華やかさの陰では人材難などの経営課題があったものの、売上を伸ばしながら困難を乗り越えていけるはずだった。

「あなたの顧客は誰?」
MPDで得た気づきの本質

2020年1月に新工場が竣工するも、コロナ禍で状況は一変した。ラーメン店の相次ぐ休業でメンマの発注が激減し、会社は債務超過に陥ってしまう。世界中が不安に包まれる中で、吉野氏が選んだ道は事業構想大学院大学への進学だった。

「2年間で多くを学びましたが、特に印象に残っているのは『顧客は誰なのか』という問いです。自分の中には『メンマでお客様を喜ばせたい』という強い思いがありましたが、具体的な顧客像は描けていませんでした」

この問いは年齢や性別を尋ねているのではない。どのような思いで何を成そうとしているのか、そのために何が必要なのかといった顧客の内面の話だ。「これまでは細いメンマを売ろうとか、珍しいメンマを作りたいとしか考えておらず浅はかだった」と気づかされた吉野氏は、改めて顧客について思いを巡らせた。例えば、既存顧客には化学調味料を使わないお店が多かった。コロナ禍の休業中に味を研究した結果、化学調味料をやめたラーメン店も増えたという。ストイックに味を探究するラーメン店にはどのようなメンマを提供すればよいのか、吉野氏は常に考えを進化させている。

一方で、会社の経営体制も見直した。在学中の2022年1月、吉野氏は現場と新規事業に集中するため自らは会長となり、社長の職は承継した。このころにはコロナ禍での行動制限が緩和され、営業を再開するラーメン店が増えたこともあって、社長交代以降は売上が3倍に伸び、創業から10周年の節目を迎えた2023年9月に最高益を記録した。

「ラーメンは競争が激しい世界ですが、有名店に限れば10年以上営業を継続できている店舗がほぼ100%です。当社としてもそういった寿命の長いお店とビジネスをしていきたいと思っています」