2020年9月号
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事業構想10ヶ条

第5条「猛烈に勉強する」 成功の陰に勉強あり

唐池 恒二(九州旅客鉄道 代表取締役会長、事業構想大学院大学 特別招聘教授)

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勝海舟、孫正義氏、永守重信氏……。大事業を成し遂げた偉人や名経営者を支えたものは、人知れず自身に課した「猛烈な勉強」だったと筆者は指摘する。JR九州が世に出した「ななつ星」も、目から鼻へ抜けるような斬新な発想などではなく、ゼロからの「猛烈な勉強」の産物だった。

天才といわれる人ほど、人知れず猛練習に励み、誰よりも真剣に勉強する。イチロー選手などはその最たるものだろう。

成功した経営者は、創造的な発想や創意工夫ばかりが注目されがちだ。実は、猛烈な勉強をやり抜いたからこそ大事業を成し遂げることができたのだ。そのことがあまり表に出てこないから見逃してしまいそうになる。成功の陰には必ず猛烈な勉強が存在することを忘れてはいけない。

勝海舟も猛勉強

明治維新の最大の功労者、勝海舟も物心がつく頃から幕府の要人になるまでずっと死に物狂いで勉強している。

海舟は、文成6年(1823年)無役の貧乏御家人・勝小吉の長男として生まれる。少年時代、剣術と禅の修行に打ち込むかたわら西洋兵学に志した。その勉強ぶりはつとに有名になった。

入手しにくい蘭書の持ち主の家に半年間毎晩通い、分厚い本を丸々書き写したという。日中は剣術の鍛錬、夜中は書写と学問に没頭し、早朝に座禅を組む、という過酷な日々を送った。この凄まじい精進があったからこそ、無役の貧乏御家人から這い上がり、国を動かす大仕事を任されるようになったのだ。

28歳で蘭学塾を開き、33歳で長崎の海軍伝習所に赴き、オランダ士官より航海術の訓練を受けた。1860年には艦長として咸臨丸で太平洋横断を果たし、帰国後、近代海軍を建設する仕事に取りかかる。

戊辰戦争で江戸が新政府軍に囲まれたとき、海舟は実質上幕府の代表となる。新政府側の西郷隆盛と会談して江戸の無血開城を実現させたことは、日本史の教科書でお馴染みだろう。

身分制度が厳しい江戸時代は、武家においても家格により就く役職が限定されていた。海舟は、幕府の中でも最下級の御家人の家に生まれたため、ふつうなら到底出世は望めなかった。激動の時代とはいえ、海舟の前例のない出世と誰も成し得なかった偉業は、自身の猛烈な勉強がもたらしたものだった。

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