島根県・石見銀山 人口400人の集落から世界へ
世界文化遺産にも登録されている島根県・石見銀山のふもとの大田市大森町は、人口400人の過疎地域でありながら、世界中から義肢・装具の注文が舞い込む企業や全国展開する企業が存在。小さな集落の仕事づくりは、地方創生への示唆に富んでいる。
日本海に面して東西に長く広がる島根県のほぼ真ん中に位置する大田市。その山麓の大森町には、戦国時代から江戸時代初期にかけて、世界最大級の産出量を誇っていた石見銀山がある。2007年に鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産登録を果たしている。
ピーク時には20万人いたとされる大森町(現在は大田市大森町)であるが、終戦直前の1943年に閉山。閉山後はこれといった産業もなく人口減少が続き、終戦直後は1800人、60年代に1000人を割り、80年代には 500人に減少し、限界集落のはしりのような集落であった。
中村ブレイスの創業者、中村俊郎氏は1948年に大森町に生まれる。中村家は、戦前は裕福な資産家であったが、農地解放によって資産の大部分を失い、町役場に勤める父の給与だけでは生活は厳しかった。成績優秀な中村氏であったが、大学進学は断念し、京都の義肢製作所に勤めることとなった。
京都を経て、アメリカで修業
懸命に働く中、中村氏は大学で勉強したいという思いを持ち続け、仕事を続けながら近畿大学短期大学部の通信教育課程で学んだ。苦労してようやく大学を卒業できる見込みが立った時に、社長に1ヵ月の休暇をもらい、研修のために向かったのが、義肢装具メーカーとして世界的に有名な米国・ホズマー社だった。
ホズマー社は、その技術力から、世界中から注文があった。中村氏は、これを目の当たりにして、「もしかすると、我が故郷の大森でも仕事ができるのでは」と思いを馳せたのであった。
実家の納屋を改造して創業
中村氏は、アメリカの義肢装具メーカーや病院で2年半の経験を積み、最新技術を習得して帰国。実家の納屋を改造して、1人で中村ブレイスを創業したのが、1974年、26歳の時であった。
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