「科学への信頼度」”平均以下”の日本を変える シュプリンガーネイチャーが挑む「科学と社会を繋ぐ」改革
日本の科学者の社会的信頼度は68カ国中59位——。技術先進国のイメージとは裏腹に、日本における学術界と一般社会の間には、決して小さくない隔たりがある。科学的知見が社会に適切に伝わらなければ、新たな事業や社会の発展も限られていく。この課題を前に、世界的な学術出版社である、シュプリンガーネイチャー・ジャパン株式会社は、科学と日本社会を繋ぐ取り組みを推進している。コマーシャルディレクターである、大場郁子氏に展望を伺った。
シュプリンガーネイチャー・ジャパン株式会社、大場 郁子 氏 © ガビン・バフェット
日本では、科学者への信頼度が低下
発信の必要性が「わからない」という現状
アメリカや中国をはじめとした先進国の産業界では、事業推進を目的とした科学者や研究者の積極的な登用が既に一般的となっているが、日本において、学術界と一般社会の間には依然隔たりがある。2025年1月に、行動科学の学術誌 Nature Human Behaviourにおいて掲載された調査*1では、衝撃の結果が現れた。50ヶ国以上の成人7万人以上を対象に、研究能力や透明性などの要素を評価項目として、科学者の信頼度を調べた同調査によると、日本の科学者への信頼度は、5点中3.37点で、平均の3.62点を下回り、68カ国中59位であるというものだった。
各国の科学者の信頼度を表した図。日本は69ヶ国中59位という結果に
出典: Cologna, V., Mede, N.G., Berger, S. et al. Trust in scientists and their role in society across 68 countries. Nat Hum Behav 9, 713–730 (2025). https://doi.org/10.1038/s41562-024-02090-5, Creative Commons Attribution 4.0 International License: http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/ 。
こうした状況の原因の一つに、研究者側からの情報発信の不足が考えられる。2024年、世界有数の学術出版社である、シュプリンガーネイチャーが発表した別の調査*2によると、調査に参加した1000人以上の日本人研究者の約3分の1が、過去3年以上、一度も自身の研究を発信したことが無いことが判明。「背景には『発信方法が分からない』『発信の機会が無い』『発信するメリットを感じない』といった理由があります」こう指摘するのは同社の日本を含むアジア太平洋地域でコマーシャルディレクターを務める大場郁子氏だ。日本の研究者の多くは、研究成果をトップクラスの学術誌に掲載する事をゴールとしている事が多く広く社会に伝える意識や意欲が不足しがち、と大場氏は続ける。「専門領域の研究者に読まれても、一般の方々にはほとんど届きません。すると、新しいアイデアの着想や研究者自身の活動の広がりが生まれにくくなります」と話す。
「科学」だからこその「ストーリー」発信
信頼性を担保した形で読みやすく
一方で同調査では9割以上の研究者が「発信をしたい」と答えている。同社は、そうした研究者のコミュニケーション上のギャップを解消するために、有識者を巻き込んだ幅広い活動を行っている。「私たちは一般的には、研究論文や書籍を出版する会社と認識されているかと思いますが、私自身は、『研究に携わるステークホルダーをつなぎ、発見を促進することで社会課題の解決に貢献する会社』だと考えています」と大場氏は話す。
取り組みの具体例として大場氏は「研究のストーリー」を伝える記事広告を挙げた。単に論文出版や宣伝をするのではなく、背景のストーリーを伝える事で、読者にとって、より身近な情報になるよう工夫しているという。「PR色が強いコンテンツは、読者の離脱に繋がります。実際、ページのスクロールなどでエンゲージメント数値を測定出来ますが、事実情報中心の文章では、数値が低くなる傾向があります。その為、私たちは、『なぜこの研究を始めたのか』『どのようなきっかけで研究者とのコラボレーションが生まれたのか』といった、論文には書かれていないストーリー性のある内容を発信することで、読者の関心を引くことを意識しています」と話す。
ストーリーテリングは感情への訴求力が強いため、科学的な情報を伝える際に誇張や誤解の誘発などが問題になるケースがあるが、同社は倫理面や情報の信頼性にも配慮しているという。同社は出版倫理委員会(COPE: Committee on Publication Ethics)に所属し、編集の独立性を担保している 。また、研究者や博士号出身の経歴を持った編集者も多く、ファクトチェックに関する意識も高い。
日本における「研究コミュニティ」の醸成
助成プログラムを通じて産学の橋渡しになる
メディアからのコンテンツ制作や情報発信は一方通行になりやすいという性質があるが、同社は日本企業との連携も進め、日本における「研究コミュニティ」の醸成に力を入れている。その一例が、国内大手食品メーカーとの連携だ。腸内細菌叢研究支援である「Global Grants for Gut Health(GGGH)」助成金プログラムを継続して行っている。
2025年ロンドン開催のヤクルト協賛イベントに登壇した本田賢也教授(慶應義塾大学)© コリン・ミラー
例えば、老化対策に特化した腸内細菌叢研究に新規参入しようと思った場合、実績がないと国の助成金の採択が難しいが、 このようなプログラムにより、研究者は挑戦の場を持つ事が出来る。「申請された研究提案は、このプログラムの協賛企業とは一切関係の無い、外部の独立した審査員が評価します。審査では、科学的な新規性、中立性、社会的インパクトといった観点から、公平に採択を行っており、同企業様には、研究の中身に干渉せず、資金面での支援に徹していただく形で、学術界への貢献を実現するプログラムとなっています」と大場氏は解説した。元々、両社は、編集記事のスポンサーシップという形で繋がっていたが、協賛イベント後の話し合いをきっかけにこの取り組みに合意。単発ではなく長期的な取り組みとすることにより、協賛側にもブランドイメージ向上や事業促進、採用領域における存在感の発揮という小さくないメリットがある。
研究者育成とダイバーシティ
出版社から「産学・国内外」の架け橋へ
また、世界的なテクノロジー系日本企業とは、女性研究者向けの大規模アワードを共催し、受賞者1人当たり25万ドルを支給している。今年は研究のキャリアなどによって分けられた部門別に、計3名の研究者が受賞した。「我々としても、女性研究者の支援は非常に重視しているポイントです」と大場氏も語るように、ダイバーシティ推進という形で、将来有望な研究者の醸成に貢献している。
「Sony Women in Technology Award with Nature」2025年度授賞式(2025年3月)© Sony Group Corporation.
AIの影響により、学術界や出版業界のみならず、各業界で、広報・マーケティング業務の刷新や新規事業の開拓は急務となっている。大場氏は「重要なのは、技術革新に対応しながらも、私たちの根本的な使命である『科学と社会をつなぐ』という理念を忘れない事」だと語る。産業界と学術界、日本と海外、両面を見つめるからこそ浮かび上がる構想には、新たなビジネスのヒントが隠されているかもしれない。
*1 C Cologna, V., Mede, N.G., Berger, S. et al. Trust in scientists and their role in society across 68 countries. Nat Hum Behav 9, 713–730 (2025). https://doi.org/10.1038/s41562-024-02090-5
*2 Urakami, Hiromitsu; Paksamut, Nalin (2024). Researcher Engagement in Research Communication in Japan: Surveying Practices, Awareness, and Challenges (Survey by Springer Nature). figshare. Figure. https://doi.org/10.6084/m9.figshare.23740008.v5